俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

“少食ハラスメント”に苦しんでいる

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私は少食である。

どれくらい少食かと言うと、一日一食でいいくらいで、これは身体を動かしたとしても変わらない。

これまでの人生において少食じゃなかったことがない。ずっと少食だった。

 

という話をこの前実家に帰ったときにしてみたところ、「あんたは赤ん坊のときに、ぜんぜんミルクを飲まなかったから苦労した」と話していたので、マジで筋金入りの少食なのだろう。三つ子の魂百までと言うが、私の場合、地上に生まれ落ちたときから少食の習慣ができていたわけだ。

 

で、そんな私からすると、この社会は少食にかなり不利にできているように感じる。

「え?少食なんて、食費がかからなくていいじゃん!」とか思われる方がいるかもしれないが、ちょっと考えが足りないと思う。頭の中も胃袋になっているんじゃないかと思う。

というのはさすがに言いすぎだが、社会における少食派のツラさをまったく分かっていない。

我々少食派は、“少食ハラスメント”とも言うべき精神的苦痛を、ことあるごとに味合わされているのだ。

 

お・も・て・な・し

例えばだ。

もてなしを受ける機会がある。私の場合、既婚者なので奥さんの実家に顔を出したときなど、かなりの歓迎を受ける。

で、歓迎される場面を想像してもらえるとお分かりいただけるだろうが、机の上に大量の料理が準備されているのだ。

 

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こんなん少食からすると最悪である。

しかし大量の料理は相手の心遣いであり、歓迎の証…と社会的に認知されている。歓迎される側は、胃袋のサイズに関わらず、考えなしに作られた大量の料理をたいらげることが求められる。

「歓迎の証なんだから食べられるでしょ?」

当たり前のようにそう思われる。

 

正直言って、少食の私からするとみんなバカなんじゃないかと思う。

人それぞれ体力は違う。10kgを重いと感じる人もいれば、軽いと思う人もいる。

それと同じように、1kgの料理を楽勝に食べられる人もいれば、「500g以上はゴミ」と思う人だっているのだ。少し考えれば分かるはずだ。

 

それって見栄なんじゃないの?

 

もてなすこと=大量の料理を出す

 

この図式は地方に行くほど顕著に感じる。あくまでも私の主観でしかないが。

私の田舎は沖縄のすごく小さな島なのだが、帰るたびに見た瞬間に「馬鹿」としか思えない量の食事を出される。いつだか父親にその疑問を尋ねたところ「こっちでは、もてなしたときに、少しでも不足があったら恥ずかしいことだとされてる。だから余分に用意する習慣ができてる」とのことだった。つまりは見栄だ。

もてなす相手の食べられる量には見向きもせず、自分たちの世間体のために無駄な量の料理を並べる。「好きに食べてください」と放り投げるだけで、こちらが「残すと悪いな」とか「この料理全然好きな味付けじゃないな」とか思うことには、一切関与しない。善意のふりをしたイジメだと思う。

それにもしだが、もてなしを受けたときに出された料理が足りなかったとして、何の問題があるのだろう。

相手が親からまともに食事をもらえないような虐待児ならまだしも、こちとらいい大人である。お腹が空いて入れば自分で食事を摂るぐらいの知恵はある。そんなこともできないと思われているのだろうか。舐めんな。

 

 

さて、ここまで読んだ方の中には、「食べきれないなら残せばいいじゃん」と思われた方もいるかもしれない。

その通りだ。まったくもって同感である。

しかし日本には「モッタイナイ」という呪文を唱えながら、料理を残すことを徹底的に毛嫌いする宗派があるのだ。

 

 

「残してはいけない」という宗教

実はうちの奥さんがこれで、たびたびぶつかってきた。もう結婚して10年近く経つのでさすがに口論するようなことはないが、「残してもいい」VS「残しちゃダメ」の立場はまったく変わっていない。もし将来的に離婚する事があるとすれば、確実にご飯を残すかどうかの問題が原因になるだろう。それくらい「ご飯を残すか否か」の問題で断絶している。日韓関係が暖かく感じるほどだ。

 

少食の私からすると、大量の料理を出された時点で勝負は決まっているというか、戦う気がしなくなるのだ。

「残しちゃダメ派」の人は勘違いしている。

私たち少食は残したくて残しているのではなくて、単純に食べきれないから「残ってしまった」だけであって、そこには何の悪意もないのだ。

だってそもそも、「残しちゃダメ派」の人だって、料理を10kgぐらい出されたら残すしかないわけだ。それと同じ。

だから、自分で料理を作ったり、盛らせてくれれば、残すようなことは絶対にしない。それは約束する。私だって料理が無駄になることは望んでいない。

 

無理して食べると具合が悪くなる。それでも?

「残しちゃダメ派」の人がどうなのか知らないが、私の場合、無理に食べると翌日に響く。モロに体調が悪くなる。

料理を無駄にしたくない気持ちは分かる。しかし、身体を壊してまで食べる必要があるだろうか?お腹がいっぱいになったら食べるのを止める。これって、そんなに不自然なことだろうか?

残すのはダメなのに、身体を壊すのはOKって、どういうことなのだろう。食物の命よりも、自分たちの命の方を軽視しているのだろうか。控えめに言ってイカれていると思う。

 

「残すともったいない」

これはよく耳にするセリフだが、実は間違っている。

食べきれない量の料理を作った時点でもうすでに「もったいない」のだ。

あとは余った分をゴミ箱に入れるか、自分たちの胃袋をゴミ箱代わりにするかの違いなだけだ。見えるか見えないかの違いである。

腹に無理に収めると、なんとなくテーブルが綺麗に片付いて、料理を無駄にしなかったような気分になる。なっているだけだ。それを多くの人は分かっていない。見上げたアホである。

 

料理を残してしまうのは、単に量が多いからだ。なぜそれが分からないのだろう。

 

大食礼賛

大食がすごいともてはやされることはあっても、少食すぎて褒められることはない。

これだけを見ても、少食派が社会的弱者であることは疑いようがない事実である。

普通に考えれば、大量の食物を必要とする大食漢の方がエコではないから非難があって然るべきだが、そうはならない。「料理を残す」という結果のただ一点だけで少食が非難されることはあるのに、だ。

 

そういえば、会社のメンバーと食べに行ったときに、とあるチェーン店が大盛り系だったために、私の人生最大量を残したことがある。

私自身でも引くほどに残ってしまったのだが、すでに「残してしまうのは、提供側の問題」という少食理論を構築していた私は、料理が運ばれてきた時点でいくらかの覚悟ができていた。

しかし周りのメンバーはそうではなかった。

もろに非難された。会社でヘタをこいてもここまで嫌われることはないだろうってぐらいに。

そしてあのこすられきった名ゼリフを言われた。「料理を残すのって信じられない」

 

もしその人が言ったように、残すことが罪で本当に許されない行為なのであれば、私は外食をするたびに店員に「この料理は何グラムですか?」と尋ねる必要がある。

しかし少食じゃない人たちはそんなことをしなくてもいいわけだ。なんで少食というだけで、そんなハンデを背負わにゃならないのだ。バカも休み休み言え。大体に私が店員だとしたら、そんな客の相手はしたくない。勝手に残せ、と思う。

「余った料理を捨てる人の身になれ」と言われるかもしれない。だったら「無理して食べさせられる人の身にもなれ。大体にして、こっちはお金を払って食べてるし、従業員はお金をもらって働いている。なんで払ってる側が苦心しなきゃらならんの?」と言い返したい。大人だから言わないけど。

 

少食よ、永遠なれ

 

とにかくこの世は、大食側に味方しすぎだし、少食がいることを想定してなさすぎる。

外食産業であれば、不十分な量を提供するのは問題があるだろうから多めに出すのは許せるとしても、一般家庭で客に料理を出す場合は、もう少し考慮すべきだと思う。

ちょっとぐらい足りなくても大丈夫だし、残せなくなるような生ものは少なめにしておくべきだ。

それくらい考えられるだろう。

 

世の少食たちが、少しでも生きやすい世の中になることを願っている。

 

以上。