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そんな簡単に「泣ける」と口にする本ではない。『妻に捧げた1778話』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

ええ、まんまと乗せられたよ。テレビに。速攻で買っちゃったよ、読書芸人で紹介されてた『妻に捧げた1778話』を。

 

え?どうだったかって?

 

まあまあ、落ち着いて。

 

やっぱりね、本は他人に勧められて買うもんじゃないね。乗せられているときは特にダメ。余計なフィルターがかかっちゃって、輪をかけて純粋に楽しめなくなる。

これは「15年ぶりに泣いた」なんて言葉を軽々しく吐いてしまったカズレーザーも悪い。いや、彼はただ単に個人の感想というか、自分の身に起こった現象を語っただけで、他のみんなが同じような感想を抱いたり、同じような身体現象が起こるとは限らない。むしろ私のように「あのカズレーザーが言ってるぐらいだから、俺も泣けるはず!」と安易に考えてしまう方が問題なわけだ。自分と他人が違う感性を持っていることなんて、とっくに知っていたはずなのに…。

 

という愚痴から始まったこの記事は『妻に捧げる1778話』の紹介記事になる。

アメトーークで紹介されてからというもの、書店でも平積みの嵐になっている本書。実際に読んだ私の赤裸々な感想と、その魅力と楽しみ方を語りたいと思う。

なんかもうすでに色々と吐き出してしまったような気もするが、まあ皆さんが気にしなければ済む話だ。お付き合いいただこう。

 

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内容紹介

ご存知だろうがまずは内容紹介。

余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をする。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日、最後の原稿の最後の行に夫は書いた―「また一緒に暮らしましょう」。

妻のために書かれた一七七八篇から選んだ十九篇に、闘病生活と四十年以上にわたる結婚生活を振り返るエッセイを合わせた、ちょっと風変わりな愛妻物語。 

 

まず皆さんに気をつけていただきたいことがある。私と同じ過ちを犯してほしくない。

これはそんなにどストレートな感動作ではない。「読めば泣ける!」というような安易な作品ではない。

なので、「きっと泣かせてくれるだろう」とか思ってこの本を読むと、期待を裏切られる。

というか拍子抜けというか、うん、あれだよ。「思ってたんと違う」みたいになる。

 

じゃあどういう本なのか

この本は私が読む限り、単なる“記録”である。

奥さんのために、というよりも小説家としてできることをただやり続けた。その記録である。

記録なので、そこに激しい感情は伺えない。奥さんのために書かれた1778話の中から19話が収録されているのだが、そこまで特別な話という感じでもない。奥さんの容態とは何の関係もないような話ばかりである。

話と話の合間にちょっとしたエッセイが書かれている。しかしこれも非常に淡々としていて、言い方は悪いかもしれないがドラマチックさはない

このように、なんとも味気ない作りをしているのが本作である。泣かせようする作為はまったく感じない。

 

受け手に左右される部分が大きい

たぶんこの余計な装飾を施していないことが、読み手を選ぶのだと思う

分かりやすくパッケージをしていない、とも言えるだろう。

 

大体にして本作に収録されている19話にしても、奥さんのために書かれたものであり、こうやって出版されることを目的にしていない。もちろん眉村卓は「出版に耐えうる作品を」という意気込みで臨んでいたそうだが、そういうことではなくて、これはあくまでもとある夫婦の間でだけ交わされることを目的とした作品ややり取りなのである。

だから私たちのような部外者に分かりやすくはパッケージされていない。我々はあくまでも夫婦の秘密のやり取りを覗かせてもらっている立場なのだ

ここがこの作品の肝だと思う。

つまり、この非常に内向きに作られた作品や文章に対して、どこまで想像力を働かし、眉村卓や奥さんの気持ちに同化し、本質を掴めるかで、この作品を味わえるかどうかが決まるのだ。

その点、私は愚かにも分かりやすい感動を求めてしまった。土足で上がり込んだようなもんだ。そりゃ感動できなくもなる。味わうつもりがそもそもなかったのだから。

 

ということで、もしあなたがこれから『妻に捧げた1778話』を読むつもりなのであれば、しっかりと肝に銘じておいてほしい。

これは「読者のために書かれた本ではない」ということを。

 

不器用な夫婦

そんなことを書いたが、それでも噂の最終話に関しては無粋な私でも感じ入る部分があった。もちろんネタバレするつもりはないので、気になる方は読んでみて欲しい。

 

さて、読み終わった私の感想であるが、とにかく一番印象に残ったのは「なんと不器用な夫婦だろうか」という思いである。

眉村卓は小説家だ。そんな自分を支えてくれた妻のために毎日一篇の話を書く。その発想は素敵だと思う。そして実際に一日として休むことなく1778話を書ききったことは賞賛に値するだろう。美しき夫婦愛だ。

 

でも、だ。

もっと分かりやすい方法はなかったのだろうか。そんなことを思った。そう思ってしまうあたり、私が無粋たる所以だ。

 

夫も夫なら、それを淡々と受け取り、読み続ける奥さんも奥さんである。

お互いにあまりにも不器用である。もっと直截な愛の表現方法があるような気がしてならない。

 

でもこれが眉村夫妻にとって最善だったのだろうとも思う。

他人からすれば不器用なやり取りも、夫婦の間でしか分からないものがあるのだ。

そう、この本には他人が簡単に立ち入れないような夫婦の形がある。

 

静かに楽しんでいただきたい

ということで、この作品を読むときは派手なものを期待するのはご法度だ。そんなに簡単に泣けるような作品ではないのだ。日常というのは実はそんなにドラマチックではない。淡々とした日々の繰り返しがあるだけだ。

だからこそ、大事に、静かに、しっかりと、眉村夫妻のやり取りを味わって欲しい。我々はあくまでも覗かせてもらっていることを忘れてはいけない。部外者なのだ。部外者だからこそ、夫妻の思いを汲む必要がある。読み取る必要がある。

 

そうすれば、最後に収録される1778話の言葉が、より強くあなたの胸に染み込むはずだ。

 

どうか私のような雑な読み方をなされぬよう、くれぐれもお気をつけいただきたい。

不器用なふたりを見守ってあげてほしい。

 

以上。