遠くを見る。その大切さがよく分かる本である。
超人気作家が語る“夢の叶え方”
どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回紹介するのは私の大好きな作家、森博嗣による自己啓発書である。
それがこちら。
何故、あなたの夢は実現しないのか?「自分の庭に小さな鉄道を建設することが小学生の頃から夢だった」―。あなたの夢は「見たい夢」か「見せたい夢」か?もし後者であるなら、願いは永遠に実現しない。小説家として億単位を稼ぎ、あこがれの隠遁生活で日々夢に邁進する。それを可能にした画期的方法論。
自己啓発書なんて紹介したら、森博嗣に「啓発なんてしていません。でもあなたがどう受け取ろうが好きにしてください」と言われそうだが、まあそれに似通ったものだろう。似通ったもの、なんて表現をしたらすべての本が似通っているので、これは何も説明してないのと同じである。という何の意味もない文章を並べててみた。ごめんなさい。
タイトルにある通り、森博嗣の考える“夢の叶え方”について書かれた本なのだが、本書の内容をまとめ上げて、重要点を煮詰めると結局はタイトル通りの言葉になる。
つまり「あなたは自分の夢の叶え方を知っていますか?」というものだ。
そう、これが本書で書かれていることの全てなのだ。
意味が分からないかもしれない。ちょっと説明していこう。
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夢に向かっている状態が幸せ
まず大前提として理解してもらいたいことがある。
森博嗣はこれだけの成功を収め、悠々自適な隠遁生活を送っているが、本人曰く「夢はまだ叶えていない」そうなのだ。
それは「本当の夢はもっと遥か先で、そこに向かって日々進んでいる」だけ。それでも森博嗣は「毎日が本当に楽しく、今が一番幸せ」だと語っている。それは夢を叶えたからではなく、夢に向かって進んでいるからこそ幸せなのだ。なので、「一日の作業を終えて疲れて眠り、そのまま朝を迎えることがなかったとしても、構わない」 という主旨の発言をしている。
本の中で森博嗣の“本当の夢”については語られていない。ファンとしては非常に気になる所だが、それは本書の主旨とは離れるのでまあ仕方ないだろう。
で、これは本書だけではなくラッセルの『幸福論』にも書かれていたのだが、人は「夢中になることで幸福を感じる」のだそうだ。
なのでやはり、みんなが囚われがちな「夢」そのものよりも(もちろん夢は大前提だけれども)その経過を如何に楽しめるかが重要なのだろう。たしかホリエモンも『ゼロ』で似たようなことを書いていた。
夢の叶え方
そんなことは書きつつも、これだけではただ単に「みんな夢中になれよ」というだけの本になってしまうので(実際、ほとんどそうなのだけど)、具体的に夢を叶えるための方法が書かれている。
しかしながら、こちらも非常に当たり前というか、画期的な方法ではない。
色々と書かれていたが要約するとこんな感じ。
“自分自身を知り、ゴールを定め、そのために必要なことを、必要なだけ、できるペースでやる”
やばいでしょ、この“当たり前感”。
しかし悲しいけどこれが現実なのだ。これを悲しいと感じてしまう私はきっと、それこそ「夢の叶え方に夢を見ている」状態なのだろう。なにか今までに聞いたこともないような簡単な方法があると期待していたわけだ。アホである。夢が叶わなくて当然である。
才能の差は痛感させられる
本書でも書かれている通り、森博嗣は淡々と夢に向かって日々を積み重ねている。計画を練り、予想されるトラブルを想定し、そこからスケジュールを管理する。親の葬儀が入ってもその予定は狂わないほどにしっかりと準備されている。
そのようなスタンスが大事だということは分かった。
しかし言わせてほしい。泣き言を言う暇があったらさっさと手を動かせ、頭を使え、という話なのだがせめて一言だけ言わせてほしい。
森博嗣はやっぱり特別。
幸せな研究者生活を送っていたが、助教授に昇進したことにより仕事にストレスを感じ始め、なにか生活を変えるための方法はないかと探した結果、何の興味もなかった小説を書いてみたと。そしたら、試しに出版社に送ってみた1作目の作品に編集者が食いつき、速攻でデビューが決まる。それからは月に2,3冊を刊行し続け、今は一日1時間しか仕事をしない。でも年収はたぶん5000万ぐらい。
なんじゃそりゃ。
小説好きな自分からしたら、「小説に興味はないけど、試しに書いてみたらデビューが決まった」って、バケモノ以外の何者でもないんだけど。まあバケモノは“者”じゃなくて“物”だがな。
言いたかないけど(このセリフを吐くときは、大抵言いたくて仕方ないとき)、こんなの才能でしょ。そこら辺にあるような話じゃない。
森博嗣という逸材だからこそできた事例であって、私にはまったくムリな話。才能の差をまざまざと見せつけられた思いです…。なんてことを言うと森博嗣は「見せつけてなんかいません。事実を書いているだけです」と反論されると思うが。
本書の価値
とまあ、愚痴みたいなこと、というかただの愚痴を書き連ねてきたわけだが、本書の価値はここにある。
「自分とは違う」
そう思い知ることにあるのだ。
森博嗣がいかに悠々自適な暮らしをしようとも、その生活を手に入れるために小説を書こうとも、その生産量が異常だとしても、私には何ら関係がない。
私には私にしか感じられない幸福があり、夢がある。それは他人を見て「羨ましい」とか「悔しい」と思うようなことではなく、自分の中の奥の奥にあるもの。他人と比べることで見えてくるようなものではなく、純粋に自分の中にあるもの。
それを見つける、または見つけようとすること。
それがこの本を読んだことで、一番大事な点だったように思う。
人間は比べることで違いを把握する。だから比べることで価値を量ってしまう。
しかし、他人と比べたところで、もしその他人よりも上(または同等)に到達した所で、見渡す範囲を広げれば、また羨ましく感じる人が出てくるだけである。それは夢を叶えた所で常に苦しさからは逃れられない、ということになる。
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答えはあなたの中にしかない
自分が求めるものは何か。
他人を見て決めるのではなく、自分の中にあるものに目を向ける。しっかりと目を凝らす。
それで見つけられれば、それが本当の夢になるだろう。そこに向かって、真摯に進む作業は幸せを呼ぶはずだ。
もし見つけられなかったとしても、答えを探すためにやはりまた、真摯に日々を過ごすことは幸福へと近づく行為に他ならない。
そこで答えは最初に戻る。
「あなたは自分の夢の叶え方を知っていますか?」
これを知ること。これが本書のすべてなのだ。叶え方そのものに価値があるのだと森博嗣は言いたいのだろう。
そうは言ってもやはり自分というものは、そんなに簡単に分かるものではない。他人と比べることでしか価値を量れなかったのだから、すぐに切り替えることはできない。
でも少しずつ変わることはできるはずだと、今の私は信じている。
簡単な答えを教えてくれるような本ではない。
しかし、私のように「何か夢を叶える方法を誰か教えてくれないかな」なんて夢見たいなことを考えている人間に、現実を突きつけてくれる本である。
しつこいかもしれないが、こんなことを書くときっと森博嗣は「突きつけてなんかいません」と言うことだろう。
「突きつけられていると感じるのはあなたの勝手です」と。
そう、どう感じるも、どう考えるも私次第なのである。
以上。