『バガボンド』が到達できなかった高みがこの物語にはある。
森博嗣が紡ぐ剣客小説
どうも、読書ブロガーのひろたつです。骨董屋で真剣を見るのが大好きです。実際に見たことはないので想像でしかないけど。
さて今回紹介するのは珍しく森博嗣の小説である。このブログで森博嗣作品を紹介することはたびたびあったが、そのすべてがエッセイであったりビジネス書だった。
※参考記事
森博嗣は非常に正直な作家なので、このように自分の収入をあけすけに公開することもあれば、「小説を執筆するときに中身は考えない。思いついた順に書く」という驚愕の執筆スタイルも公表してしまっている。
なので、読む側のこちら側としては「そんな適当に書いた小説なんて読みたくねえよ」と思ってしまう。以前はハマっていた森博嗣の小説だが、自然と離れていった。
ところが、なにやら「森博嗣の最高傑作が発表された」との噂を聞きつけてしまった。聞きつけてしまったからには確かめないわけにはいかない。しかもなんと内容はまったく理系ではない“剣客小説”である。森博嗣と剣客小説。うーん、まったく想像できない。これは読むしかない。
で、読み終わった結論。
確かに最高傑作でした。
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シリーズ全巻読まないと面白さが半減…
ただ、ひとつ注意してもらいたいのは、最高傑作ではなく“最高のシリーズもの”であることだ。
今回紹介する森博嗣の剣客小説は全5巻からなるシリーズになっており、途中から読んでしまうと面白さが半減してしまう作りになっている。これも森博嗣作品としては珍しいパターンだ。それまでの彼はシリーズものだとしても、かなり独立した話を書いてきたからだ。
さらに注意してもらいたいのが、表紙やタイトルだけを見てもシリーズの順番が非常に分かりにくい。ただ装丁の美しさは間違いない。大好きである。スカイ・クロラシリーズと同じような装丁に仕上がっている。
では皆さんが間違えないように、シリーズの順番通りに紹介しておこう。
1作目『ヴォイド・シェイパ』
主人公の“ゼン”が、師匠の死をキッカケに山を降りるところから物語は始まる。
彼は生まれてこの方、山を降りたことがなく師匠以外の人間と会ったことさえない。
そんな彼が求めるものはただひとつ。「強くなること」。
2作目『ブラッド・スクーパ』
山を降りたゼンがそこで目にしたのは人間と人間の争い。そこに存在する侍と刀。
人同士で殺し合う意味とは一体何なのか?
無益に争うことを嫌う彼だったが、次第に殺し合いの渦中へとその身を投じていく…。
3作目『スカル・ブレーカ』
とある勘違いから城に籠城されることになったゼン。少しずつ明らかになる彼自身の生い立ち。
しかしそれとは裏腹にゼンは強くなることの意味が分からなくなっていく。死ねば全てが終わるのに、なぜ自分は刀を握るのだろうか。
4作目『フォグ・ハイダ』
都へ向かう旅の途中で出会った侍。戦えば確実に命を落とすであろう腕前の彼は、それだけの強さを持ちながら盗賊の片棒を担いでた。
守るべきものの存在は強くなる上で足かせにしかならないのか。己の身だけを守ることは戦いにおいて利点とはなる。しかし、戦うに足る理由はそこにあるのか。
5作目『マインド・クァンチャ』
旅の目的地である都へと辿り着いたゼン。そんな彼の身を襲うのは、あまりにも人間的な欲望の渦だった。
強さとは。強くなることとは。生きることとは。
ゼンが最後に見つけた答えとはー。
シリーズものである理由
この『ヴォイド・シェイパシリーズ』は主人公ゼンのひとつの旅を扱ったものになっている。
その旅の中でゼンは自らに問いかけ、他人と交わりながら成長していく。
そして刀を振ることの意味を考え、強くなることの意味を見つけていく。
この一連の流れがあるため、森博嗣作品としては珍しく刊行順に読むことが必要になる。
『ヴォイド・シェイパシリーズ』は、その作品雰囲気や装丁から『スカイ・クロラシリーズ』と並べて紹介されることがあるが、そういう意味では『スカイ・クロラシリーズ』とはまったく違った主旨の作品群になっている。スカイ・クロラシリーズは本当にどれから読んでも問題ない作りになっているからだ。
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少年漫画的展開一切なし
刀を扱う物語である。敵も出てくる。となれば、当然少年漫画的な展開を期待してしまう。というか予想してしまう。つまり、「敵が出てきて、苦戦して、でも何かの理由によって主人公がさらに強くなって敵を倒す」という展開だ。
先に言っておこう。その要素は一切ない。
森博嗣が意識してかどうかは知らないが、とにかく既存の物語とはそぐわないような物語展開に仕上がっている。
ただ森博嗣は常々「創作において一番大事なことは“新しい”があること」と語っているので、狙ってやっている節がある。
面白い格闘物語を作り出す上で、少年漫画的展開は必須である。公式みたいなもんだ。
でもあえてそこから外れることで、新しい面白さを生み出してしまう。
しかもこれを「思いついた順に書いている」なんて言ってしまうんだから、本当に森博嗣の頭脳は桁違いである。化物だ。
バガボンドが到達できなかった高み
刀を扱うという点で『ヴォイド・シェイパシリーズ』はどうしても私の中で『バガボンド』と比べてしまう。わざわざ比べる必要なんてないのだが、「強さとは?」という共通のテーマを描いている点、読者としては楽しみのひとつとしてその違いを分析したくなるのは人情だろう。
さて、私はあえて『ヴォイド・シェイパシリーズ』と『バガボンド』に優劣を付けるつもりはない。大体にして小説とマンガという媒体そのものの違いがある。優劣の付けようがない。
しかしながら、単純に物語が完結しているか、という点で比べることができる。
現時点(2017年9月現在)でバガボンドは長期休載の真っ只中である。作者の井上雄彦が「強さとは」の答えを出せずにいられないまま、物語が停止している。そこまでは素晴らしい流れだっただけに、非常に惜しいことだと、いち読者として思う。
「強さとは」。このテーマは井上雄彦という稀代の才能を持ってしても、調理しきれるものではなかったのかもしれない。
小説の強みが活かされている
その一方で『ヴォイド・シェイパシリーズ』ではゼンの目を通して、「強さ」の正体を描き切っている。言い方は悪いかもしれないが、バガボンドが到達できなかった高みをそこに見ることができた。
ただこれも、小説という文章で構成される媒体だからこそなせる業であり、マンガ表現では難しいのかもしれない。
小説の強みは映像ではなかなか表現できないことを、簡単に創り出してしまう所である。
例えば「絶世の美女」とか。映像がある媒体だとかなりハードルが上がってしまうものも小説であれば1秒とかからずに生み出すことができてしまう。
媒体によって得意不得意があり、たまたま「強さとは」というテーマは小説の方が得意だっただけである。
別に森博嗣のほうが井上雄彦よりも優秀だなんて言うつもりはない。言いたい欲求はあるけど。
何よりも心地よさ
最後に伝えたいのは、『ヴォイド・シェイパシリーズ』は読んでいて最高に心地良いということだ。
戦いのシーンでは血飛沫が舞い、人が倒れる。激しい描写が続く。
なのにその文章は美しく、心地よい感覚を私たちの胸の中に残す。
しかも憎いのが、その心地よさを主人公ゼンの「人を殺すことを楽しんでいないか?」という葛藤とも重ねてくることである。これを読んだとき、私は自分自身に指を付けつけられたかのようにドキッとしてしまった。
まあそれはそれとして、森博嗣の言葉選び、リズム感の良さがこのシリーズ最大の魅力になっていることは間違いないだろう。これは『スカイ・クロラシリーズ』と通ずる所がある。あちらは飛行機の専門用語が多すぎて意味が分からない部分が多々あったが、こちら完全に日本語だけなので、そのぶん余計に物語へと没頭できる。
理数系作家としてその名を轟かせてきた森博嗣としては異色の剣客小説。
彼の最高傑作だと断言できるだけに作品に仕上がっているので、ぜひ手に取ってもらいたい。
まるで宙に浮いているかのような感覚を味わえるはずだ。
以上。
ちなみに尻上がり的に面白さが増してくるので、ゆっくりとお付き合いいただけたらと思う。