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乙一の底が知れない作品集。『メアリー・スーを殺して』幻夢コレクション

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どうも。

天才乙一のひねくれた短編集をご紹介。

内容紹介

メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション

乙一,中田永一,山白朝子,越前魔太郎,安達寛高 朝日新聞出版 2016-02-05
売り上げランキング : 75931
by ヨメレバ

「もうわすれたの? きみが私を殺したんじゃないか」
(「メアリー・スーを殺して」より)

合わせて全七編の夢幻の世界を、安達寛高氏が全作解説。
書下ろしを含む、すべて単行本未収録作品。
夢の異空間へと誘う、異色アンソロジー。

こちらの作品集は、乙一、中田永一、山白朝子、越前魔太郎によるアンソロジーの体裁を取られている。しかし、これらは全て乙一のペンネームである。(正確には越前魔太郎のみ複数の書き手による覆面作家)。そしてそれらの作品を本名の「安達寛高」が解説する。

知らない人には非常に分かりづらい。だが知っている人間はきっと書店で見たときにニヤけたことだろう。そう私のことだ。書店でニヤニヤしたおっさんを見かけても決して通報しないように。

 

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作品は色々

収録されている作品の発表時期はバラバラだし、作風もまったく違う。テーマも一貫していないので、本当に寄せ集めといった印象。だがいくらペンネームを変えようとも、作風を変えようとも、書いているのは乙一その人。作品の底に流れる空気やリズム、読後に訪れる独特の余韻などは、完全に乙一のそれである。

私が乙一の短編を読むのは、『ZOO』以来なので、実に10年ぶりぐらいだろうか。なんとも感慨深いものがある。一時期はもう彼の作品は読めないのかと思ったぐらいだったが、ペンネームを変え、これだけ多作になるとは予想もしていなかった。嬉しい裏切りである。それにしても映画の脚本はどうなったのだろうか。義父が偉大すぎて辞めてしまったのだろうか。

収録作品はホラーからミステリー、恋愛、青春と非常に幅広い。乙一の魅力を存分に楽しめる作品になっていると言えるだろう。

簡単に言うと「最高っす」である。

メアリー・スーとは? 

美しい装丁と『メアリー・スーを殺して』という強烈なタイトルが目を惹く本書であるが、そもそも「メアリー・スー」とは何かご存知だろうか?

私も本書を読むまで知らなかった。

wikiから引用してみよう。

メアリー・スー(Mary Sue)とは、二次創作における用語の1つ。二次創作に登場する、理想化されたオリジナルキャラクターを総称した言葉である。  

まあ言うなれば、「中二病」みたいなもんである。現実の自分にある劣等感などを払拭するために自分の作品の中に都合の良いキャラクターを用意したり、展開を繰り広げてしまうことを呼ぶ。

なかなか気の利いた題材である。しかもそれを「殺して」と来てる。どんな物語を乙一が展開してくれるか、ぜひ期待して欲しい。いや、この場合は中田永一か。本当にややこしい作品を出してくれたもんだ。嬉しいけど。

仕掛けは控えめ 

私もそうだが、「乙一の短編」と聞くと、どうしても初期のキレッキレの作品たちを思い浮かべてしまいがちである。具体的に挙げると『GOTH』『失はれる物語』などである。

とある書評家が「現在活躍している作家の中で、素人を欺くのが一番上手いのは乙一」みたいなことを書いていた。きっと乙一のファンの多くが、彼に鮮やかに欺かれて虜になった人たちだろう。私も同じである。『GOTH』で完全に一目惚れした。

だがである。

今回の『メアリー・スーを殺して』はアンソロジーということもあり、キレキレ乙一の要素は薄い。ほとんどないと言っていいレベルである。一応、乙一名義で二作品収録されているが、欺かれるような作品ではない。なのであまり高望みしないようにしてもらいたいと思う。

上質な「切なさ」

では何がこの作品集の魅力かと言えば、やはり「切なさ」だと思う

白乙一に代表されるように、彼の武器は「切なさ」である。切れ味抜群の騙しの技も最高だが、やはり物語を楽しむという意味では「切なさ」が最強だろう。

なんてったって、切なさは難しいのだ。狙いすぎると臭くなるし、狙わないと伝わらない。しかも切なさなんていう曖昧なものを表現しようとすると、どうしても似たようなテーマになりがちである。でも日本人は切なさが大好きで、だからこそ世の中にはムリに切なさを演出するために、やたらと登場人物が死にまくる。私はいち、物語を愛する者としてこの現状を非常に悲しく思う。もっと正直な言い方をすると、クソだと思っている。

で、そんな厄介な「切なさ」を自在に操るのが乙一の筆なのだ

乙一の切なさは安っぽくない。くどくない。そしてみんなが胸の中に持っている「何か」を刺激してくる。読者は彼の作品を通して、自分の中にある「何か」と対峙することになる。

その過程で「切なさ」を体感するはずだ。

作品が進化してきている

彼の文章は非常に平坦である。独特な表現はないし、漢字をあえて避ける文章のせいで、なんとも言えない柔らかみがある。色んな意味で尖っていない。

そして物語で扱う、登場人物たちの感情。その取り扱い方が非常に…言い方は無粋だが「うまい」のだ。読者の琴線を震わせるような扱い方に長けている印象を受ける。

元々、極度の映画マニアで、シナリオ理論などを勉強していることから、ストーリーで読者を引き込むのが上手い作家ではあった。だが、最近は中田永一名義での作品発表の影響か、とにかく情緒豊かな物語を描くようになったし、題材に取り入れるようになった。

昔の彼はそうではなかった。

平坦で読者に読みやすい文章を武器に、グロテスクだったり過激な描写をいきなり放り込むことで、驚きや温度差を表現していた。それはいまも健在ではあるのだが、それに加えて、感情の扱い方が非常に巧みになったと思う

私はファンとして、これを嬉しく思う。(←失はれる物語のオマージュ)

 

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底を見せない

私は彼がデビューしてからずっと追い続けているストーカーのような人間だが、いまだに乙一の限界を感じたことがない。

そこまで肩肘張った作風でもなければ、極端な長編作品を書くような作家でもないから余計かもしれないが、とにかく底が知れない。(無理して書いたであろう「暗黒童話 」と「死にぞこないの青 」は別)

いつでも飄々としているし、文章に熱がこもっているときもない。常に軽く出したパンチがクリティカルというイメージである。常に表現の芯を捉えてくる。恐ろしい男である。

それは彼の執筆姿勢にも言えるだろう。

乙一名義であれだけ売れておいて、「映画の脚本を書きたい」と突然作品を発表しなくなる。かと思えば、別名義で作品を発表しだす。読者は翻弄されっぱなしである。どれが本気なのか、それともそれが彼なりに全力の出し方なのか、まったく分からない。

だが、私が今回『メアリー・スーを殺して』を読んで思ったのは、やはり乙一は最高である、というあまりにも当たり前の事実である。彼の作品には彼の文章でしか味わえない独特の味があり、だからこそいつまでも乙一は評価され続けるし、魅了されるファンが絶えないのだろう。にくい野郎だ。私も大好きだ。

 

さて、おっさんの愛情なんて気持ち悪いだけだと思うので、ここらへんで記事を終わりにしたい。

 

以上。

メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション

乙一,中田永一,山白朝子,越前魔太郎,安達寛高 朝日新聞出版 2016-02-05
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