最初に言っておくが、私は別にブス専ではない。
だがそれでもタイトルの通り、全然可愛くない(別にブスとは言っていない)のにちゃんと評価されている女性アーティストが大好きだ。
勘違いしてもらいたくないのだが、ブスなのに頑張ってるから、いじらしいっ!とか思っているわけではな全くない。むしろ尊敬の念という意味の“大好き”である。
というのも、そもそも私は音楽に限らずアーティストは作品の質で評価されるべきだと常々思っている。そして、そう思っているにも関わらず美女にはすこぶる弱く、甘い評価を下してしまうような、偉そうなことを言えるけどまったく偉くない凡人である。
ただこの世の真理は理解しているつもりである。
皆様はご理解いただけているだろうか、この世で一番、力を持つものは何か?と。
金? 権力? 暴力?
いや、美しさである。
美男美女に勝る者はこの世にはいない。むしろ他の要素は美男美女の位置まで上がるための踏み台でしかないとさえ言える。それは付属品でしかない。本人に備わった美しさという力の前では虚しささえ感じるだろう。
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なんて勝手なことを書いてみたが、私が言いたいのはそんなことではないし、そもそも美男も美女も小市民である私にはまったく関係ない存在だ。どうでもいい。いや、どうでもよくないけど気にすると苦しくなるから、どうでもいいと自分の理性に鞭を打って、必死で目を背けながら暮らしている。
近頃の売れていたり評価されているアーティストを見ると、本当に美男美女が揃っていて、美しさの持つ影響力を思い知る次第である。特に女性アーティストはその傾向が顕著に感じる。
考えてみれば超人みたいな奴らばかりである。
今どきのアーティスト(今回は音楽)といえば、美しくて、歌えて、曲を書けて、人格的にも優れていて、活動も精力的で、しかもファンを大事にして感謝の気持ちを忘れない、なんてのがザラにいる。私ぐらい何も特別な能力を有していない人間からすると、「才能を独占しすぎだろ」とぼやきたくなるほど。
だがそんな超人揃いの芸能界で、ちゃんと音楽的才能だけで評価されている人も少なからずいる。
今回の記事はそんな稀有な才能の持ち主たちに、私なりのスポットライトを当てることを目的としている。
これでも私は高校生活の三年間を、吹奏楽という音楽の世界に費やし、健気なまでに身を捧げていた人間である。それこそ元旦と8/31しか休みが存在しないような強豪校だったので、音楽の素晴らしさも難しさも、多少なりとも理解しているつもりだ。
だからこそ、別に美女だろうが美女じゃなかろうが、音楽的な素晴らしさを持っているのであれば、その才能だけで評価されてほしいと思うのだ。
そして、並み居る美女たちを「音楽的才能」という武器ひとつでなぎ倒す姿に尊敬の念を感じるのだ。
ではそんな私が愛してやまないブスたち音楽的才能に溢れた女性アーティストを紹介していこう。
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松任谷由実
まるで妖怪にしか見えないが、日本を代表するシンガーソングライターである。女王と呼んでも過言ではないだろう。
彼女の頭脳から生み出される名曲の数々は、多くの人を魅了し、それはアーティストも同じである。
♪やさしさに包まれたなら miwa × 新山詩織 × 藤原さくら / MUSIC FAIR
こんなカバー卑怯すぎるだろ。カバーしていい人とダメな人いるだろ。
松任谷由実の場合、その卓越したライティング能力だけで芸能界をのし上がったと言える。そもそも歌がこんなに下手なアーティストって他にいないんじゃないだろうか?それぐらい素人くさい歌い方をする。私は行ったことがないが、ライブだとさらに下手さに拍車がかかるらしい。
ただ本当に楽曲のレベルは異常である。誰しもの耳を魅了するメロディーは言わずもがなだろうが、歌詞はもっとヤバイと思っている。
上に貼った『やさしさに包まれたなら』の歌い出しの歌詞なんかも半端じゃない。
小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた
深みがあるし、聴き手の共感をあっさりと獲得してしまう歌詞だ。
こういう歌詞をさらっと繰り出してしまう辺りも化け物じみているし、『卒業写真』の
はなしかけるように揺れる柳の下を
通った道さえ今はもう電車から見るだけ
のような、情景が一瞬でリスナーの脳内に再生されてしまうような歌詞なども素晴らしくて、むしろ恐ろしささえ感じるほどである。才能の塊みたいな御方だ。
その容貌と相まって、まさに妖怪と呼んでもいいのではないだろうか。いや、ダメか。
仲宗根泉(HY)
HYのVo.&Keyを担当するデブ小太り。最大の武器はその豊満な肉体から発せられる歌声である。
以前別の記事でも書いたのだが、彼女は実はそこまで歌が上手いわけではない。テクニック的な部分ではもっと上手い人はゴロゴロいるだろう。
しかしそんな彼女が歌うと、途端にその楽曲のメロディーがより魅力的に感じられてしまう現象が起こる。これが仲宗根泉の恐ろしさである。
それがよく分かる楽曲がある。
これだ。
ドラムのTUNの彼女が亡くなったときのことを歌ったという楽曲である。HYの代名詞的作品である。
この楽曲、1番と2番で主旋律を歌っているメンバーが違う。聴いてみると分かるが、1番を歌っている新里と、2番を歌っている仲宗根泉のパートでやけにメロディーの印象が変わる。元々名曲なので心地よいのは間違いないが、それよりも2番でやたらと楽曲が盛り上がるように感じられる。
これが仲宗根泉の力である。
仲宗根泉が歌うと、メロディーの輪郭が非常に際立つのだ。
彼女の力強い歌声によりその効果が生まれているもののと思われるが、これにもまた理由がある。どうしてあそこまで力強い歌声が出てくるのか、である。
さきほど彼女の体格を豊満だと表現したが、実は音楽をやる上で体格というのはけっこう影響を及ぼす。基本的には太っている人の方が良い音を出せるのが音楽なのだ。オペラ歌手なんかを想像してもらうとよく分かるかもしれない。 音の魅力の大部分を占める“響き”という要素は、豊満な体格の方がより顕著にあらわれるのだ。
なのでぜひとも仲宗根泉には、この素晴らしく恵まれた身体を維持していってもらいたいと思うのだ。決して、無駄な脂肪ではない。
と思っていた矢先にこれである。
まあ、言っても女の子だしね。
仲宗根泉の存在感はHYの中でも群を抜いていて(別に体格的に、という意味ではない)、それは楽曲制作にも色濃く反映されている。せっかく大所帯のバンドなのに、仲宗根泉のソロ楽曲の多さと言ったら…。
彼女が作る楽曲も好きは好きなのだが、正直それはメロディーのみで、女子から絶賛されているというあの歌詞は、よくよくちゃんと見てみるとかなり気持ち悪い。
みんな本当にあんなんで感動してるんか。
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Kiroro
世の中には、常に新しいアーティストが出てきては散っていく。永遠とそのサイクルと繰り返している。
が、中にはいつまでも生き残り続けるアーティストもいて、その多くはファンを確立することで生きながらえている。
しかしその中でもごくごく一部のアーティストには、自身のファンではなく、自身の楽曲によって生き残り続ける者もいる。
古くは『なごり雪』のイルカであり、いまは数々の代表曲を抱えるKiroroであろう。
私自身は彼女たちのファンではあるが、彼女たち自身が楽曲ほど支持を得ていないことは認めよう。その理由が別に彼女たちが不美人であるからだと言うつもりはまったくないし、むしろピアノの金城画伯は美人と言ってもいいと思う。相方は知らん。
出産してからアーティスト活動がどうなっているのかよく把握していないが、彼女たちの楽曲は大忙しである。
例えば2001年に発表された名曲『Best Friend』は、それから15年の歳月を経てピクサー映画『アーロと少年』の主題歌として起用されている。
こうなってくると、小市民の私は印税とかの話までしたくなってしまうが、あまりにも下品なので堪えたいと思う。
作品が稼ぐという好例である。
花*花
決して花と花の間にあるアスタリスクは肛門ではないし、肛門みたいな顔面という意味を暗に込めてこんな余計なことを書いている訳ではない。 本当は花のマークである。
私と同世代であれば、彼女たちの楽曲を通ってきていない人はいないだろう。
抜群のライティング能力、そして女性デュオとしての魅力を余すところなく発揮したハモリ芸。見た目以外は本当に素晴らしいクオリティを有したアーティストである。
同性のハモリというのは、お互いの音域の1番美味しい所を1番美味しい使い方(ハモリ)ができるので、たくさんあるバンド形式の中でも最強だと個人的には思っている。ゆずも同じ理由で大好きである。
おっさんみたいなことを書いてしまうが、最近こういうアーティストをあまり見かけなくなったような気がする。
素人くさいというか、「自分たちだけで作っています!」という感じの路上アーティスト上がりが出てこなくなった。もうそういう時代ではないのだろうか。SNSもこれだけ普及しているし、ネット環境も整っている時代だ。わざわざ路上なんかで歌う必要はないのだろう。
SHISHAMO
今、一番勢いのあるブスであろう。
ブスに勢いがつくとどうなるか皆さんはご存知だろうか。
ちなみに私は知らないし、勢いづいたブスなんて怖くて近寄りたくもないので、知っている方がいたらこっそり教えてほしい。勢いづいたブスに気付かれないように頼む。
彼女たちの存在は超人気ブログ『basement-times』で取り上げられ、一躍脚光を浴びることとなった。
悪い意味でキャッチーな見た目と、良い意味でキャッチーな楽曲を武器に猛威を奮っている彼女たち。しばらく見ていると、段々可愛くなってくる怪現象を引き起こすことでも有名である。
PVを観ているうちにそちらの世界に引き込まれそうになる自分が不安になる。
ちなみにだが、実際のししゃもはこのようなご面相である。
こちらがSHISHAMOである。
さらなる活躍を期待したい。別に他意はない。
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JUJU
なんとなく雰囲気で美人かのような印象になっているJUJUだが、ちょっと長めにまばたきしてもらえればその正体にすぐ気付けると思う。それにしてもなんだこの鼻。低すぎてむしろ陥没してやいないか。
しかしである。この低い鼻を駆使して繰り出されるその圧倒的な歌唱は、聴く者の耳を一瞬にして虜にする。
発音なんかを聞いていると、かなり外国人よりの音の出し方のように感じるのだが、そうなると不思議に思うことがある。実は日本人ってのは外人に比べ、口腔内が狭く、音の響きが弱いという特徴がある。鼻も低いので尚更その傾向が強くなる。良い声ってのは結局のところ、いかに身体を使って音を響かせられるかである。なので人によっては、鼻にイビキ防止のバネ付きテープを貼って、無理やり空気の通りを良くしていたりする。
で、JUJUである。
ここまで鼻が低いにも関わらずあの美声。あの歌唱力。あの響きである。
あの鼻では空気はとても通り抜けられないだろうし、呼吸をするのだって一苦労だと思われるが、まったくそのハンデを感じさせない。まさに才能がなせる業であろう。
青山テルマ
外国の売れない人形みたいな顔をしているが、やはり彼女も素晴らしい歌声の持ち主である。顔面と歌声は関係ないという事実を、身を持って、人生をかけて証明してくれているのが彼女である。
彼女はこの記事の候補に挙がっていた歌手のAIと親交が深く、確か同じ学校に通っていたとか。
何年か前にふたりのドキュメンタリー番組を観たことがあるのだが、その番組内で無人島の砂浜に、青山テルマが将来の夢と題して「グラミー賞を受賞」と書いていた。
純粋であり、偉大でもあり、そしてバカみたいな夢を堂々と言える彼女に非常に好感を持った。
ただの一発屋のように思われている人も多いかと想像しているし、私も一発屋だと思ったことがなかったかと問われると苦しいが、彼女の実力は間違いないと思っている。
楽曲に恵まれていればなぁ、と素直に思う。
MISIA
顔のパーツがどこか足りないような気がしたあなた。気のせいなので安心してもらいたい。紹介するにあたって私が責任を持って確認した所、ちゃんと部品は揃っているような印象を受けた。確信には至っていないが、世の中には白黒はっきりつけられないことだってあるのだ。ここら辺で勘弁してあげようじゃないか。
さてこの顔のパーツが足りなさそうな女性は、とんでもない特技を持ち合わせている。なんとその音域5オクターブ。普通の人は2オクターブもないぐらいなのだから、どれだけ異常か分かってもらえるだろう。
この楽曲の0:22秒あたりの笛みたいな音はMISIAの肉声である。いわゆるホイッスルボイスと呼ばれるものなのだが、イカれた音域を持つ女性歌手が好んで使う技法である。普通の人には到底真似できません。
彼女はたまにいる“業界から愛される”タイプのアーティストで、有名アーティストから数多くの楽曲提供を受けている。彼女ほどの歌声の持ち主だと、楽曲を作れちゃう人は、自身の作品を彩ってもらいたいと思ってしまうものなのだろう。最近だとAimerなんかも同様の傾向がある。
吉田美和
この記事に入れようかどうか最後まで悩んだのが、やはり彼女も容姿ではなく、実力で国民を黙らせているタイプだと思い、エントリーさせてもらった。異論は認める。最近はかなり綺麗になってしまったと認める。
でもちょっと前だとこんな感じだったのだ。
人前に立ち続けると、知らず知らずの内に浄化洗練されていってしまうものなのだろうか。
吉田美和の実力なんて私がわざわざ語る必要もないぐらいに、日本の全国民が把握しているだろう。紛れもなく、日本のトップレベルのエンターテイナーである。
学生時代、吹奏楽の顧問がドリカムを非常に認めていて、特に吉田美和の歌唱力に関しては「邦楽のアーティストで一番上手い」と断言していた。吹奏楽の全国レベルで鳴らしてきたような御方なので、音楽の専門家が評価していると言っても過言ではないだろう。
顧問曰く、吉田美和のあの歌唱力を大きな要因は「口の大きさ」。
体内から生み出される声がどれだけ良くても、口が小さいと表現の幅も小さくなってしまう。当然、小さい声で表現することもあるだろうが、そこは「大は小を兼ねる」である。口さえ大きければ小さい表現から大きな表現までできるというものである。
極上のバラードから元気いっぱいの楽曲までドリカムが縦横無尽に表現できるのは、彼女の特徴的な「口」が支えているのかもしれない。
ちなみに私が吉田美和の楽曲の中で「これが一番ハイレベルだ」と思うのは、『すき』。
吉田美和の変態的な歌唱力を存分に堪能できる名曲である。
加藤ミリヤ
添加物をふんだんにお使いになられているので誤魔化されがちだが、加藤ミリヤもなかなかだと思っている。
※この画像は何の関係もありません。
一時期、大流行していた彼女だが最近は西野カナに押され気味である。しかし彼女の実力もまた疑いの余地はない本物である。
深みのある歌声もそうだし、楽曲製作を10歳の頃からやっているだけあり、非常にレベルが高い。しかも同じ手法で売れ続けることを厭い、常に変化を自身に課している姿勢もギャルっぽい見た目とは相反し、侠気溢れていて格好良い。椿鬼奴みたいとか言ってごめんなさい(言ってないけど)。
歌詞や言葉にはかなりこだわりがあるようで、これまでに3作の小説を発表している。
愛読書が太宰の『人間失格』らしいので、そこまで酷い内容ではなさそうである。
まあ、私はまったく興味ないが。
どうでもいいが、ミリアではなくミリヤである。
ナヲ(マキシマム・ザ・ホルモン)
さて、この記事のトリを務めるのは私が一番大好きな御方である。
上のイカれた画像を見てもらえれば分かると思うが、イカれにイカれた女性である。
妊娠中にも関わらず、ライブで派手なパフォーマンスをするために切迫早産になりそうになったほど。(切迫早産の怖さが分からない人はマンガ『コウノドリ』を読みなさい)
私は音楽をやっていたが、いかんせんドラムを始めとするリズム隊には縁がなく、あまり知識がないので、彼女の実力をどうのこうの言える立場ではない。
だが、ナヲの存在感は認める他なく、マキシマム・ザ・ホルモンという異常者集団の魅力を支えている大きなファクターだと思っている。
冷静に見るとただのおばさんである。
しかしそんなおばさんが一度スティックを手にすると…
このザマである。圧倒的だ。めっちゃかっこいい。
また、本人がドラムマニアをやってくれるというサービス精神も持ち合わせている。
サービス精神のあるデブは人気者になる。それは多くの先人が身を持って証明してくれている。
もちろんやけにクオリティの高い歌声も素晴らしいし、喋りも面白いし、下ネタも行けるし、ナヲに関しては楽しめる部分が多すぎて困る。美味しいところだらけの女なのだ。
本当に嫌味でもなんでもなく、旦那はいいセンスをしていると思う。こんな嫁だったら人生楽しすぎだろ。
最後に
一応、それなりに気をつけて文章を綴ってきたつもりだが、中には私の暴言に気を悪くされた方もいるかもしれない。今更遅いかもしれないが謝っておきたい。
ただ分かってもらいたいのは、あくまでも彼女たちの容姿を取り沙汰したのはキャッチーさを狙ったものであり、根底には彼女たちの素晴らしさを世に知らしめたいという素直な気持ちがあることだ。別に悪口が書きたかったわけではない。(少しは書きたかったけど)
昨今は音楽家に見た目だけではなく人間性まで求めるような風潮があり、私としてはもっと純粋に音楽だけを楽しんでもらいたいと、お節介ながら思ってしまう。
確かに世の売れているアーティストが、美しくて、なおかつ聖人君子であれば気持ちがいいかもしれない。
だけどそんな人はいない、とまでは言い切れないが、かなり個体数は限られるだろうし、大体にして聴いている私たちがそもそもそんな完全な人間とは程遠いのだから、アーティストの欠点のひとつやふたつぐらい、気にしないであげられないものだろうか。
なんてことを偉そうに語ってみた次第である。
以上。欠損のある偉大なアーティストたちに幸あれ。
↓全然この記事と関係ないけど、最高の本なのでぜひ読んで欲しい。
ブスの本懐 | ||||
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