俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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スパイ×スタイリッシュ×萌え=最高。柳広司『ジョーカー・ゲーム』

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最高です。

 

極上のスパイミステリー

どうも。読書ブロガーのひろたつです。今回は切れ味抜群のスパイミステリーを紹介しようじゃないか。

スパイ小説としても秀逸だし、短編ミステリーとしても秀逸な昨品である。

五感と頭脳を極限まで駆使した、 命を賭けた「ゲーム」に生き残れ――。

異能の精鋭たちによる、究極の"騙し合い"!

結城中佐の発案で陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校“D機関"。「死ぬな、殺すな、とらわれるな」。この戒律を若き精鋭達に叩き込み、軍隊組織の信条を真っ向から否定する“D機関"の存在は、当然、猛反発を招いた。だが、頭脳明晰、実行力でも群を抜く結城は、魔術師の如き手さばきで諜報戦の成果を上げてゆく......。
東京、横浜、上海、ロンドンで繰り広げられる、究極のスパイ・ミステリー。

 

柳広司はこの『ジョーカー・ゲーム』で一躍人気作家の地位を獲得したが、それまでは少々迷走気味な作家だった。

内容は紹介しないが、まあ表紙を見てもらえれば伝わると思う。

 

歴史が得意なのをミステリーに絡めようとしているのはよく分かるのだが、いかんせん二番煎じ感が抜けない。これでは「偽物です!」と言い張っているようなもので、作家として売れる戦略としては疑問を感じえない。

ただ、何作か読んだがそれなりに面白いのは事実。実力はあったけど、その力の使い方を分かっていなかった節がある。

 

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最高の形が出た 

そんな若干困ったちゃんだった柳広司だが、『ジョーカー・ゲーム』で彼の良さが最高の形で表現された。

過去の作品たちで有名な実在の人物を起用したり、名作の主人公を使うなど、メタ的な面白さに訴えかけようとしていたのだが、そこまではヒットしなかった。しかし、さきほども書いたようにそれなりの面白さは毎回あって、キャラクターの造形もなかなか良かった。それに、『坊っちゃん』とミステリーを組み合わせられる所など、非常に器用な作家であると言える。

 

そうやって過去作から見ていくと、柳広司という作家の良さは3つ。

・歴史に造詣が深い

・魅力的なキャラクターを生み出せる

・ミステリー的展開の自在さ 

 

これらの要素が最高の形で表現されているのが『ジョーカー・ゲーム』というわけだ。

 

キャラクターの圧倒的存在感

『ジョーカー・ゲーム』で出てくる登場人部たち、つまり日本陸軍に所属するスパイたちなのだが、こいつらがそれはもうとにかく天才。天才すぎてファンタジー。

物語の冒頭でスパイの試験を受ける描写があるのだが、試験の問題が「駅から試験会場までの歩数を答えよ」なんていうふざけたものにも関わらず、余裕で答えてしまう。そんな連中が繰り出す物語が『ジョーカー・ゲーム』である。

キャラクターが天才すぎて現実感が無く、批判の対象になってもおかしくないレベル。なのにメチャクチャ支持されて、映画化までこぎつけてしまった。

思うに、この“天才感”が突き抜けていたから良かったのだと思う。

歴史モノとして読みながらも、天才すぎる登場人物たちの現実感の無さは、まるであの戦争という重い空気をまとった時代に現れたヒーローのようだ。日本人の私たちは第ニ次大戦を明るく捉えることはできない。敗戦国としての事実がそこにはこびりついていうる。

だからこそ、常に心のどこかしらでその思いを払拭してくれるような“ヒーロー”の存在を嘘でもいいから、欲しているのかもしれない。

そういった意味で、『ジョーカー・ゲーム』の彼らは私たちに大きなカタルシスを与えてくれる存在なのだ。

 

圧倒的切れ味

このブログでは繰り返し書いてきているが、短編ミステリーにおいて一番重要なのは、“切れ味”である。限られたページ数の中で、キャラクターを立て、物語を創り出し、謎を提示し、そして余すところなく解決に導く。

上質な短編ミステリーを読むと、心を一刀両断にされたような爽快感がある。別に殺されたいわけじゃないけど、鮮やかにやられるとトンデモなく爽快なのだ。この快感はミステリー好きであればきっと共感してくれるはずだ。

で、『ジョーカー・ゲーム』である。

こんな話をするぐらいだから、皆さんご想像の通り、非常に切れ味の優れた昨品である。

なにせ登場人物たちがあんな天才たちだ。彼らが繰り広げる頭脳戦は、私たちの遥か上。天上人の戦いだ。

どんな謎が降りかかろうとも、彼らはその超人的な能力と頭脳でたちどころに解決してしまう。これは控えめに言っても最高である。ページを捲るたびに快感が押し寄せてくる。

これが欲しくて短編ミステリーを読んでいると断言していい。

 

柳広司の構成力

推理小説作家にはトリックから考案するタイプと、物語を作ってからトリックを考えるタイプがいるそうなのだが、柳広司はどちら側だろうか。思うにどちら側からでも行けるように感じる。

古典文学とミステリーを組み合わせられるような器用さを持つ作家だ。トリックはいくらでも考案できてしまうようなイメージがある。

そう、『ジョーカー・ゲーム』を読んでいてつくづく痛感するのは、柳広司の器用さである。

鮮やかに読者を欺く。物語は非常にスタイリッシュ。つまり完成度が高い。作品に贅肉がないのだ。柳広司がそれだけの構成力を持っているというわけだ。

登場人物たちがあんなに格好良く感じるのも、土台となっている物語構成やトリックがシュッとしているからこそだろう。ダラダラした物語だったら、こうはいかない。

 

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そして魔王。

ザラザラと『ジョーカー・ゲーム』の魅力を書いてきたが、最大の魅力はもうこれで決まりである。

 

魔王の存在。

 

未読の方には何のことやら、という感じだろうからネタバレにならない程度に説明しよう。

『ジョーカー・ゲーム』は日本陸軍の秘密組織“D機関”に所属するスパイたちを中心に描かれる。そしてその“D機関”を考案し、立ち上げ、運営している男がいる。

その男の名は“結城中佐”。天才が揃うD機関のメンバーたちから“魔王”の異名で恐れられている。

 

こいつがやっばい。読んだら絶対に虜になる。そうやって虜になるような描かれ方をしている。

名作の条件というものがある。これはキャラクターに通用するのだが、「余白を活かすこと」である。

これを利用することで、読者は物語の足りない部分を読者それぞれの思い思いのもので埋め合わせることができる。それによって、読者自身にとって“最高の物語”に成り得るわけだ。

“結城中佐”はこれを上手く利用している。

正体を明かさず、でも小出しにちょい見せすることで、読者の興味を惹きつける。そしてそんな“魔王”の凄さは、「天才たちが恐れている」という事実から読者に想像させるのだ。

だから読者は思い思いの“魔王”結城中佐像を自らの中に創り出してしまう

これで好きにならないわけないのだ。

 

続編も最高です

売れまくった『ジョーカー・ゲーム』だが、続編も発表されている。

こちらでは“魔王”結城中佐の過去が語られており、一作目のファンとしては最高の内容に仕上がっている。

さらに続編も発表されているが、物語のピークは『ダブル・ジョーカー』なので、あまり期待しないようにしてもらいたい。まあ、読んで損することはないレベルである。

 

以上。