横山秀夫はミステリーじゃなくても最高に面白い。
横山秀夫渾身の傑作!
どうも、読書ブロガーのひろたつです。飛行機に乗るたびに墜落に怯えています。
今回紹介するのは、横山秀夫の代表作…はきっと『半落ち』だが、個人的にそれを超える人間ドラマと評価している『クライマーズ・ハイ』である。
濃厚すぎる人間描写を得意とする著者が、1985年に起こった「日航機墜落事故」を中心に、新聞記者たちの汗臭すぎるドラマを描いた傑作だ。
昭和60年8月12日、御巣鷹山で未曾有の航空機事故が発生した。その日、衝立岩への登攀を予定していた地元紙・北関東新聞の遊軍記者、悠木和雅は全権デスクに指名される。はたして墜落地点は群馬か、長野か。山に向かった記者からの第一報は朝刊に間に合うのか。ギリギリの状況の中で次々と判断を迫られる悠木。一方で、共に衝立岩に登る予定だった同僚の安西耿一郎はその頃、倒れて病院に搬送されていた。新聞社という組織の相克、同僚の謎めいた言葉、さらに親子の葛藤、そして報道とは何なのか、新聞は命の意味を問えるのかという自問自答――。
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当時を知る人間
『クライマーズ・ハイ』は「御巣鷹山日航機墜落事故」を取り扱っているのだが、これが本当に真に迫るというか、未体験の迫力を持って読者にぶつかってくる昨品である。
それもそのはずで、実は作者の横山秀夫自身が元々新聞記者であり、事故当時も新聞記者としてその時間を過ごしていた。事故自体も横山秀夫がいた群馬で起きている。
『クライマーズ・ハイ』はもちろんフィクションではあるが、そこに描かれているドラマの多くは、実際に横山秀夫が体験したものなのかもしれない。そんなことを思わせるほどに、凄まじいリアリティである。
ちなみに事故の様子を再現した動画がこちら。
『クライマーズ・ハイ』では直接触れられていはいないが、操縦していたパイロットたちも必死だったし、そこにも数々のドラマがあったようだ。きっとそれは地上にいた人間の比ではないだろう。
改めて、被害者の方々のご冥福をお祈りしたい。
無駄な残酷さはいらない
『クライマーズ・ハイ』は墜落事故を追う新聞記者たちの物語である。
乗客524名の内、520名が亡くなるという凄惨な事故。これを小説で描こうとすれば、いくらでもエンタメ的な使い方ができたと思う。つまり、残酷な描写を克明に描き、読者感情を煽ることができたはずだ。最近の日本のエンタメは過激な残酷さに頼る傾向がある。その方が背徳感を利用して、読者を興奮させられるからだ。
でも横山秀夫はあえてそれをしなかった。いや、もしかしたら当時、新聞記者として事故に接近した人間としては書けなかったのかもしれない。
どちらにせよ、『クライマーズ・ハイ』では事故の残酷な描写がほとんど排除している。
だからといって、事故の凄まじさを描いていないわけではない。むしろそれは逆で、事故の影響を間接的に描くことで、より事故の凄惨さや被害の甚大さを描いている。
その辺りの描写に関しては、読者である我々まで現場に放り投げだされたような気分になる。心拍数は上がり、手に汗握ることだろう。
テーマは“命と仕事”
横山秀夫作品のどれにも言えることなのだが、仕事をしている人間の心理を描くのが非常に巧みだ。仕事をする人間の矜持や葛藤を鋭く描く。思わず入り込んでしまうような描き方をする。
『クライマーズ・ハイ』ではその傾向がより顕著に出ている。
世界的に見ても類がないほどの未曾有の事故を経験した記者たちが、どうやってスクープを手にするか。記事を間に合わせるためにどんな戦いを繰り広げるのか。騙し騙されが当たり前の世界で生きる男たちの、あまりにも汗臭いドラマが目の前で展開される。
これが熱すぎて堪らない。
出てくるのはいい歳したオッサンばかりである。絵面はそんなに綺麗なもんじゃない。しかもただでさえ血なまぐさい事故を取り扱っているのだ。読者にかかる負担は大きい。
だけど何度でも読みたくなる。必死に仕事をし、必死に生きる彼らの熱い姿を何度でも見たくなってしまうのだ。
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息づく登場人物たちがもたらすもの
これもやはり実際に事故を体感した横山秀夫の魂がこの作品に乗っているからこそ、到達した高みだと思う。
彼自身が事故当時に、思い、悩み、苦しみ、そして見出した希望をこの物語に託しているのだ。
だからこそ『クライマーズ・ハイ』の登場人物たちの誰ひとりとして、ステレオタイプの人間はいない。それぞれがそれぞれに命を持ち、感情に乱され、そして息づいている。
ここに『クライマーズ・ハイ』を傑作たらしめている理由がある。
物語を読者に楽しませるために必要な要素がふたつある。それを満たしているからこそ、『クライマーズ・ハイ』はこんなにも読者の胸を熱くする。
そのふたつの要素とは、「距離感」と「説得力」である。
物語に必要な「距離感」と「説得力」について
どんなフィクションだろうとも、読者は物語をどういった視点で見ればいいのかを把握しようとする。
これを間違えてしまうとよく聞く「こんな奴いないから」みたいな批判が出てくる。リアリティを求めていない作品にリアリティを求めてしまったり、皮肉を描いた作品を真正面から受け止めてしまったりする。
読者に勘違いさせないために、作者は物語との距離感を読者に把握させる必要がある。
もうひとつの要素「説得力」は物語における「世界の構築度合い」とでも言えるだろうか。
読者は物語世界にほころびや、作者の怠慢を見つけてしまうと、途端に物語に対して不誠実になってしまう。向き合ってくれなくなってしまうのだ。
それを防ぐためには、物語に出てくる出来事やアイテム、人物の造形に「(物語内での)真実味」が無ければならない。
このふたつが揃うことで初めて読者は物語を楽しむことができる。没頭することができる。
横山秀夫が記者時代に体験したその集大成が登場人物たちに託されている。だからこそ、読者は「距離感」をそこに見出し、「説得力」を感じるのだろう。
個人的に横山秀夫の最高傑作は短編ならば『第三の時効』、長編であれば『64』だと思っている。
だが、ただひたすらに濃厚な人間ドラマを描ききった『クライマーズ・ハイ』もまた、彼の最高傑作のひとつであると思っている。
そう、横山秀夫の魂はここにある。
以上。
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