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二人三脚の限界を感じた。『キャプテンサンダーボルト』阿部和重/伊坂幸太郎

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

先日読んだ『キャプテンサンダーボルト』の紹介&感想記事である。もちろんネタバレはしないのでご安心いただきたい。

 

ただ、最初に皆さんに伝えておきたいことがある。

それは、

 

「キャプテンサンダーボルトは、いまいち

 

ということである。

 

内容紹介

『キャプテンサンダーボルト』がどんな作品なのか知らない人も多いと思うので、軽く内容を紹介しておく。

 

 

世界を揺るがす秘密は蔵王に隠されている!

大陰謀に巻き込まれた小学校以来の友人コンビ。

異常に強い謎の殺し屋と警察に追われるふたり(と犬一匹)は逃げ切れるか。

上巻には本編の一時間前を描く書き下ろし掌編小説をボーナストラックとして収録!

現代を代表する人気作家コンビが本気でタッグを組んで生み出された、このふたりにしか書けない一気読み必至のノンストップ・エンタテインメント。

 

女友達を助けたばかりに多額の借金を背負う羽目になった相葉の手にひょんなことから転がり込んだ「五色沼水」。それを狙う不死身の(ように見える)冷酷非情な謎の白人が、死体の山を築きながら彼を追ってくる。五色沼といえば蔵王の火口湖、そこは戦後にパンデミックを起こしかけた「村上病」のウィルスで汚染されていて、立ち入り禁止地域になっていた。この水はいったい何なのか。逃亡する相葉は、中学時代の野球部の悪友・井ノ原と再会、ふたりは事態打開のために共闘することに……

東京大空襲の夜に東北をめざし消息を絶った米軍機。封印された映画に映っていたもの。謎が謎を呼ぶ100%ノンストップエンタメ。

 

 この前書店に行ったら、ちょうど『キャプテンサンダーボルト』がフェアかなんかで扱われていて、平積みされていた。「一気読みの傑作」的なポップが踊り狂っていたが、それを見ながら私は「無駄な被害者を増産しやがって…」と苦々しい思いを抱いていた。

確かに面白い作品だとは思う。しかし、「一気読み!」みたいなハードルを設けてしまったら、この作品は引っかかってしまうことだろう。そこまでの傑作ではないことをここに明言しておく。

 

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『キャプテンサンダーボルト』の楽しむポイント

阿部和重と伊坂幸太郎によって、生み出された『キャプテンサンダーボルト』だが、この作品を楽しむポイントは以下の3つに絞られる。

 

①阿部和重と伊坂幸太郎の両名による共作、という珍しい執筆方式によって、どんな作品が出来上がるのかを確認する

②プロの作家ふたりが四年もかけて作り上げた作品がどんなもんか確認する

③超エンタメ作家伊坂幸太郎と、超文学賞である芥川賞を受賞している阿部和重の食い合わせ具合を確認する

 

たぶん、他の方も似たようなことをお考えだと思う。

もちろん出版社的には、阿部和重と伊坂幸太郎の両名のファンを呼び込める、という点で商業的に企んでいる部分が、楽しむ部分になっていることだろう。結果はどうだったのだろうか。まあ、2015年の本屋大賞で8位だし、そこまで振るわなかったのかもしれない。

 

ただの興味本位

どれも「確認」という言葉をあえて入れてみたのだが、ご理解いただけるだろうか。

マンガと違い、小説は作業に人の手を多く必要としない。そういう意味では、非常に人件費のかからない仕事だと言える。

なので小説作品において“共作”は、非常に珍しいケースだと言える。わざわざする必要がないからだ。

 

ただ、私が唯一知っている例だと、岡嶋二人の場合は必然だった。片方がトリックや推理を考案し、片方が文章を担当するというやり方だ。トリックを考案していた徳山淳一は“人さらいの岡嶋”と言わせてしまうほどのトリックメイカーだったし、文章を担当していた井上夢人は圧倒的なリーダビリティが売りである。この2人の組み合わせならば、理解できる。

 

しかし、たったの1作だけのために急ごしらえで組んだ作家、しかもこれまでに作品を複数発表しているプロの作家同士が組んで、そんなに上手くことが運ぶとは思えない。

なので、私のような小説好きの場合ではあるが、上に挙げたような楽しみ方しかないように思う。悪く言えば“興味本位”だろうか。

 

で、実際読んでいた印象だと、私が読む前に感じていた懸念がすべて当てはまってしまっていた。

 

『キャプテンサンダーボルト』の残念な点

ということで、読み終わった私が感じた『キャプテンサンダーボルト』の残念な点は以下の3つ。

 

①長え

②伊坂幸太郎的の面白さが薄い

③共作という事実が読書の雑音になる

 

本当はもうちょっとあるのだが、あまりボコボコにしても誰も得をしないので、これくらいに抑えておく。

 

軽く説明しておこう。

 

まず①。

そのまんまである。長い。長い、と感じさせてしまう展開なのだ。

こりゃ完成まで4年もかかるわけだわ。

作品としては冗長。弛んだ腹を見せられているような気分だった。

 

次に②。

残念ながら私は阿部和重の作品を読んだことがない。なので彼の文章にどういう特徴があるのか知らないで、詳しく語ることができない。

しかし伊坂幸太郎作品はほぼコンプリートしているし、そもそも彼の大ファンなので、伊坂幸太郎の文章であれば、すぐに分かる。というか、分かりやすいのが伊坂幸太郎の特徴である。

そんな彼の良さが、『キャプテンサンダーボルト』では完全に薄まってしまっている。いや、面白い部分はある。伊坂幸太郎の良さを感じる部分はある。だけど、これはちょっと薄すぎる。それが物足りなさに直結している。

 

そして③。

共作という事実が、読書中にいちいち頭をよぎるのだ。

「ここはどちらが書いてるんだろう」

「この展開をどうやって決めたんだろう」

「プロットは?」

「意見を戦わせたりとかしたんだろうか」

「登場人物の喋り方を統一させられなかったのか」

などなど、普通に読んでいるときには考えもしないようなことを、逐一考えてしまう。これでは作品に入り込めない。第三者として物語を読んでいるような感じなってしまう。

 

…惜しい 

試みとしては面白いかもしれないが、私としては

「伊坂一人で書いた方が面白いのではないか」

という残念極まりない感想だ。

 

一人でなら余裕で全力疾走できる場所でも、急ごしらえの相方が存在し、相手と歩調を合わせる二人三脚では、ちぐはぐになってしまって当然である。長さの割にあまり満足感がなかったのは、この辺りに原因があるように私は思う。

 

長さ的には『マリアビートル』と同じ位なのだが、『マリアビートル』のあのスピード感や興奮度に比べてしまうと、いささかお粗末である。読者に「長い」と感じさせてしまうのは致命的じゃないだろうか。

しかも『マリアビートル』はあんなに限定的な状況で、『キャプテンサンダーボルト』は車でいくらでも移動できるぐらいスケールが大きい作品だってのに…。自由度の割に自由に物語を広げられていないようである。

 

分業と共作はちょっと違う。そして小説という創作において、共作はあり得ないのかもしれない、と思った次第。

 

以上。

 

 

で、こちらが超オススメの『マリアビートル』

 

 

 

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