どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回は森達也からの強烈な一撃を紹介しよう。
内容紹介
「オレは結局スプーン曲げちゃうよ。本音は曲げたくないけど、みんなの期待がわかるから」職業=超能力者。ブームは消えても、彼らは消えてはいない。超常現象、その議論は「信じる・信じない」という水掛け論に終始していた。不毛な立場を超え、ドキュメンタリー監督がエスパー、超心理学者、陰陽師、メンタリスト等に直撃!!
否定しつつも、多くの人が惹かれ続ける不可思議な現象。その解明に挑んだ類書なきルポ。
オカルトとなると、世の中は真っ二つに分かれがちで、お互いがお互いをバカにする傾向がある。この本を読むまでの私は完全に「オカルト否定派」。信じたい人がいることは否定しないけど、ちょっと頭が弱いんじゃないかと思っていた。
そんな私が森達也の『オカルト』を読んでみた結果、どうなったか。
森達也の本を読むと体験する、毎度毎度おなじみの現象に襲われてしまった。
つまり、これまでの「自分の価値観」を疑うようになってしまったのだ。
『オカルト』を読み終えた今、私としてはオカルトがあるかどうかは“完全なるグレー”である。どちらもありえるように思う。
森達也はどんなものごとでも基本的には「グレー」でいることを信条としている。どちらかに決めつけないようにしているのだ(世論がどちらか一方に傾いているときは、あえて少数派に肩入れして戦うクセがあるけれど)。
そんな森達也の姿勢に気持ちよくヤラれた作品なのである。
オカルトの正体
まずこの本はオカルトを巡るロードムービー的な内容になっている。
森達也がオカルトを詳しく知るために、またはオカルトそのものの触感を確かめるために、あらゆる著名人に話を聞く。さらに自身も体験してみる。
非常に胡散臭いように思われるかもしれないが、森達也自身が非常に冷静な視点で相手と対峙しているので、対談集的な誠実さを感じる。オカルトの世界に取り込まれるんじゃないかと若干構えていたのだが、気が付けば普通に楽しんでいた。
で、この「オカルトを巡るロードムービー」の最中に森達也が、オカルトに関するある持論を展開する。その持論に沿ってこの本は進んでいくのだが、これがまた面白い。
「オカルトはたまに見えるのに、ちゃんと確かめようとすると隠れる。まるでオカルト自体が人目を避けているかのように」
この発想自体がもうすでにちょっとオカルトなのだが、この本を読めば読むほどオカルト自体に意思を感じてしまうのだ。これはもう不思議、としか言いようのない感覚である。
若干ネタバレになってしまうが、本文の中で多くの人が求めるような「オカルトの正体」は結局出てこない。 「すべてはトリックで証明できます」とか「実はオカルトの動かぬ証拠を捕まえられた。本物の奇跡です」みたいなのは、ない。
だが、オカルトというなんとも蠱惑的な魅力を放つ現象に対して、あるひとつの見解を示せた本だと思う。
オカルトをそんなふうに見たことがなかったので、新たな視界がひらけるような感覚になった。この快感に出会えるからこそ、森達也の本は読まずにいられないのだ。
オカルトに傾倒していく人々
本書では多くがオカルトよりの人へのインタビューになっている。
そこで面白いのが、オカルトよりの人の多くが意外と「オカルトがあるかどうかは分からない」と言っていることだ。
分からないからと言って「ない」と切り捨てるのではなく、「なにかがあるかもしれない」という好奇心にも似た感情で向き合っていることである。
オカルトの面白さは、さきほども書いたように「見え隠れする」ことだ。だからこそ人は正体を知りたくなってしまう。追い求めずにはいられなくなる。
だが、この科学全盛の時代にオカルトを真に受けている人というのも少数派である。
科学的でないことを信じてしまい、更にはそれを公言するのは、ちょっとアレである。みんなこっそり畏れている程度で(例えば何かを理由なく不気味に感じたりとか)、公にはしないだろう。
そんな中で『オカルト』では、とある実験を行なっている。気鋭の記者を集めてイタコに降霊術を行わせたのだ。
5人の記者が3人のイタコの降霊術をそれぞれ体感してもらい、降霊術を受ける前と後で、どんな心境の変化があったかを調査したのである。
普段から現実を追いかけている記者たちである。かなりのリアリスト揃いだ。
だが、降霊術を実際に体験してもらってみると、そのほとんどが「多くのイタコは何かしらのトリックを使っているようだが、中には本物が存在する」といった趣旨の発言をしていた。つまり心変わりしてしまったのだ。
これもオカルトの面白い部分だと思う。
どれだけ疑ってかかったとしても、いざ実際に不思議な体験をしてしまうと、オカルトに傾倒せずにはいられないのだ。オカルトの沼に引きずり込まれてしまう。
どちらも楽しんで
オカルトは以前に比べるとかなり勢いを失っているように見える。
テレビなどのメディアでオカルトを取り上げることも少ない。私が子供の頃はしょっちゅうやっていたのに。
まあきっとこれも、それだけネットが浸透したことによって、多くの場所に光が当てられるようになったからだろう。オカルトは闇がなければ存在できない。隠れる場所がなければその姿をちらりとも見せることはない。
でもそんな「オカルト劣勢」の状況だからこそ、森達也の『オカルト』は刺激的な一冊になるのだ。
みんなが常識だと思っていることに疑問を投げかける。その価値観を揺るがせる。新たな視点をもたらす。
私たちはどうしようもないぐらいに答えを欲しがる。その方がラクだからだ。いつまでも中途半端にしておくのは疲れてしまう。
だがそのせいで見えるものも見えなくなってしまったりする。答え、つまり決めつけることで、物事を素直に見られなくなってしまうのだ。
森達也の本は、いつだって分かりやすい答えは提供してくれないが、今までの自分を更新するような新たな見方を教えてくれる。
オカルトを信じない人は、本当に説明できないことがあることを知ってみよう。
反対に、オカルトを信じている人は、一度否定してみる勇気と冷静さを持ってみよう。
なにか新しいものが見えてくるかもしれないから。
それがオカルトの正体かもしれない。
以上。