どうも。読書ブロガーのひろたつです。辞書を盗む予定はありません。これからもねえし。
今回紹介するのは、伊坂幸太郎の実力を決定付けた作品。
内容紹介
ボブ・ディランはまだ鳴っているんだろうか?
引っ越してきたアパートで出会ったのは、悪魔めいた印象の長身の青年。初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。彼の標的は――たった1冊の広辞苑!? そんなおかしな話に乗る気などなかったのに、なぜか僕は決行の夜、モデルガンを手に書店の裏口に立ってしまったのだ! 清冽な余韻を残す傑作ミステリ。第25回吉川英治文学新人賞受賞。
私は伊坂幸太郎ファンなので、彼の作品はどれもこれも大好きなのだが、その中でも特に衝撃を受けたのがこちらの『アヒルと鴨のコインロッカー』である。
まずタイトルからしてまったく面白そうじゃない。まあそれは『アヒ鴨』に限った話ではないのだが、伊坂作品の中でも一番タイトルからの期待値が低いと思う。
なのに中身は“完璧”。伊坂幸太郎の良さが全部入っている。
たぶんこの落差で余計にやられたのだと思われる。
できることなら、あの快感をもう一度…。
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伊坂幸太郎の魅力を全部味わえる
さて、中身についてである。
伊坂作品を読んだことがある方であれば、彼の特徴をいくつか挙げられると思う。世に溢れる作家陣の中でも伊坂幸太郎は、その良さが言語化しやすい作家である。
ざくっと挙げてみよう。
・会話劇の妙
・魅力的な登場人物
・本当に腹が立ってしまうぐらいの悪役
・伏線
・青春
・引用
まだまだありそうだが、ぱっと思いつくところ、主要なところはこんなもんだろう。
で、『アヒ鴨』なのだが、これらの要素が全部入っている。
これまで伊坂作品の良さ、そのどれもが入っている。全方向完璧に対応している作品である。伊坂作品のどの作品からでも渡ってこられる。
伊坂幸太郎のキャリアハイ
今のところの伊坂幸太郎の代表作といえば、『ゴールデンスランバー』だろうか。本屋大賞を受賞し、文句なしのベストセラーだろう。たぶん、一番売れている作品じゃないだろうか。
ただ、『ゴールデンスランバー』は一番売れているだけであって、伊坂幸太郎の最高傑作ではない。
そう、『アヒルと鴨のコインロッカー』が伊坂幸太郎の最高到達点なのだ。
別にこれは『ゴールデンスランバー』をこき下ろしたいわけではなく、あれだけ売れて評価もされている作品でさえも勝てない作品があることを伝えたいだけである。
私は『アヒ鴨』以前から伊坂作品を読み漁っていたが、『アヒ鴨』を読み終わったときに「これは完成品だな…」と感じたものだ。
これからも色んなパターンの作品を発表するだろう。しかし、伊坂作品の中で総合力という点でいえば『アヒ鴨』を超えるものは彼のキャリアの中で生まれないだろう。
それぐらいの作品である。
最強の引用元
さて、そんな『アヒ鴨』であるが、伊坂幸太郎の最高傑作である、という以外にも語るべき要素がある。
ノーベル文学賞だ。
いや、伊坂幸太郎が受賞したわけではない。『アヒ鴨』の中でノーベル文学賞を受賞した人を引用しているのだ。日本人みんなとフランス人の一部がいつも村上春樹が受賞すると予想しているが、村上春樹ではない。なんなら文豪でさえもない。予想外の人物である。
まあ、あれだけ話題になったからきっとみんな知っているだろう。
そう、ボブ・ディランである。
『アヒ鴨』ではボブ・ディランの魅力をこれでもか、というぐらいに語っている。
ちなみにだが、いち読書中毒者としての意見だが、村上春樹がノーベル文学賞を受賞することはないだろう。彼の文章はあまりにも大衆的すぎる。
優秀なセールスマン
伊坂幸太郎は『アヒ鴨』の中の登場人物たちの口を借りて、いかにボブ・ディランが素晴らしいかを語っている。
その語りっぷりたるや、ボブ・ディランを一度も聞いたことがなかった私でさえも、「俺、ボブ・ディランが好きだ…」とつぶやきたくなるほど。無関係の人間までも勧誘してしまうぐらい、伊坂幸太郎は何かの魅力を語るのが上手い。
これほど優秀なセールスマンもなかなかいないだろう。
彼が面白い小説をかけてしまうのも、そこら辺に秘密があるのかもしれない。人を惹きつけるための方法を知っているというか。
この特徴的な歌詞と声を作中で讃えまくっている。その語りっぷりも本書の楽しみのひとつである。きっとすぐにボブ・ディランを聴きたくなるはずだ。
作品との距離感を間違わせない
もうひとつ。
これは『アヒ鴨』だけに限った話ではないのだが、伊坂幸太郎は「読者との距離感のつかみ方が上手い」という特徴がある。
これは日本のベストセラー作家の中でも特に図抜けた能力だ。
少々説明が必要だろう。
小説、その中でも特にエンタメ作品というのは、読者に対して特定のスタンスを求めることが多い。
例えばジャンル分けなんかはその代表例である。
「これはホラーですよ。怖がることを楽しんでくださいね」と読者に言外に匂わせているわけだ。
そこからもっと深い部分に行くと、
「下品」「不謹慎」「グロ」「皮肉」「独自の世界観」「現実感がない」「感情移入して読む」「感情移入せずに読む」
などなど、これらの要素を読む上で覚悟したり、理解しておくべきだったりする。
これが作品に対してのスタンスである。
これを間違えたときに読者は「思ってたんと違う…」という感想を抱いてしまう。つまり「つまらん」という烙印を押してしまうのだ。
よく見かける「こんな人は現実には存在しません」とか「現実感がありません」というような、低評価のレビューはその最たる例である。作品との距離感を間違えたのだ。
その点、伊坂幸太郎は読者を迷わせない。というか、迷わせてもちゃんと網を仕込んでいて、ちゃんと回収してくれる。誘導が非常に巧みである。
だからこそ、読者は伊坂幸太郎の魅力を簡単に言語化できるし、彼の作品を次々と読んでしまうのだろう。
まあ、簡単に言うと“分かりやすい”のだろう。
枠を外すのは難しい
伊坂幸太郎の作品はどれも面白い。本当にどれもハイレベルで、彼の才能は疑いようがないだろう。
それも『アヒ鴨』に代表されるように、彼なりの“小説の型”を見つけたからこそだと思う。
同じようなクオリティを発揮し、同じような面白さを提供できる。それは素晴らしい。
だが、さらにここから飛躍しようと思ったら、なかなか今ある枠から外れるのは難しいのではないだろうか。それくらいに彼の型は完成されてしまっている。
これだけの実力を持った作家である。
できることならば、東野圭吾という化物に並ぶほどの存在になってもらいたいと、勝手に期待しているところだ。
そのためには、“伊坂幸太郎らしさ”以外の何かを我々読者に見せつけなければならない。
型を捨てられるか。それとも今ある型からさらに進化した何かを見せてくれるのか。
それは今後のお楽しみである。
以上。