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足りないものを探し求めて。森絵都『みかづき』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

今回は私の大大大好きな作家、森絵都の最高傑作をご紹介。

 

 内容紹介

 

  

昭和36年。小学校用務員の大島吾郎は、勉強を教えていた児童の母親、赤坂千明に誘われ、ともに学習塾を立ち上げる。女手ひとつで娘を育てる千明と結婚し、家族になった吾郎。ベビーブームと経済成長を背景に、塾も順調に成長してゆくが、予期せぬ波瀾がふたりを襲い―。山あり谷あり涙あり。昭和~平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編! 

 

懲りない男

今でこそ立派な小説中毒患者として胸を張って生きている私だが、幼き頃はそれはもう活字なんぞにまったく興味がなかった。

そんな私が“小説”という魔境に魅入られたきっかけになったのが森絵都だった。

中学の授業で国語の先生が授業の冒頭5分間だけ、先生が選んだ「面白い本」読み聞かせしてくれた。

そのときに出会ったのが森絵都の『宇宙のみなしご』だった。面白すぎて次の授業が待てず、図書室で速攻借りて、貪るように読み耽った。私の本当に最初の読書体験である。

 

小説というのは、出会うタイミングが非常に重要で、その作品の面白さ云々よりも、読者のテンションや出会う時期によって、その価値が決まる。これは間違いない。

で、私にとって森絵都は常に「タイミングの良い作家」だった。

最初に出会った『宇宙のみなしご』は、人生最初の「面白い本」だ。

大人になってからふと森絵都のことを思い出して手にとった『カラフル』は胸を衝かれた。知らず知らずのうちに舐めていた児童文学の素晴らしさを思い知らされた。

『永遠の出口』では「大人の心を抉るとはこういうことか」、と強烈な体験をさせられた。

 

森絵都作品は、出会うたびに私に「これぞ森絵都の最高傑作!」と思わせてきた。

だが、また再び言わせてほしい。

 

『みかづき』こそ森絵都の最高傑作である、と…。

 

満足感がヤバイ

私はKindle版で読んだが、単行本だと500ページ近い大作である。中身も3代に渡って教育に身を投じた大島家の歴史をなぞって、どどんと3部構成になっている。

これがなかなかたっぷり描かれていて、存分に物語世界を堪能できる。

こういう作品を読むとつくづく思う。「長編作品ってのは、その長さが絶対に必要だから長編なのだ」と。

 

できる限りネタバレしないように書くが、1部と2部は不器用な夫婦の物語になる。

これがまた面白い。

何が面白いって、教育に対して真摯に向き合う夫婦ふたりのぶつかり合いだ。

森絵都本人がインタビューで「善人同士の争いは描きにくい」と語っていて、それもそうかと妙に納得してしまった。

よくある勧善懲悪ものであれば、正義に対して分かりやすい悪、つまり「間違っている存在」がいれば、読者に提示しやすい「対立構造」が生まれる。物語とは結局のところ、この「対立」を如何にして解消するか、に尽きる。

しかし、これがどうだろう。登場人物全員が善人だった場合になると、誰もが間違っていない。誰もが正しいことをしている。なのに、それぞれの正義の形が違うがゆえに、ぶつかり合う。お互いの正義を主張するために相手を貶める。答えがあるわけでは当然なく、お互いにただお互いの正義を“信じている”だけである。ここに強烈なドラマが生まれる。

 

筆達者な森絵都らしく、この辺りのぶつかり合いは、血しぶきがこちらに飛んでくるぐらいの熱量で描かれる。読んでて胸が苦しくなるほどだ。

でも、それでも登場人物たちを嫌いにはなれない。彼らはただただ自分の正義を信じて、みんなが幸せになる方法を模索しているだけなのだから。

 

面白い小説3冊です

で、その夫婦の諍いを描いたあとに続く最終章は、夫婦の孫が主人公になる。

この物語が運びがまた、にくい。

多少表現が悪くなるが、そこまでの『みかづき』の面白さは、言うなれば昼ドラ的な個々のぶつかり合いであり、人間の愚かさみたいな泥臭さを見せつけることで、読者を魅了してきた。

しかしここに来て、今まで物語のすべてを背負ってきた夫婦から孫へと視点を移したことで、ここまで保っていたテンションが落ち着いてしまうのだ。

しかも夫婦が常に抱えてきた難問「日本の教育を変えちゃる!」に比べて、孫の悩みのなんと小さいことよ…。そのスケールの小ささに思わず、「お前、しっかりしろよ」と言いたくなる。

 

だが、そこはさすがの森絵都である。ちゃんとそれも計算ずくで構成されている。大団円のラストへと突っ走ってくれる。

 

私は『みかづき』を読み終わったときに思った。

「だから3部構成だったのか…」

これだけの満足感を読者に与えるために、森絵都はこれだけの文量を必要とし、そして3部構成の物語を築き上げたのである。

この満足感は、個人的に「面白い小説3冊分」だった。本当に素晴らしかった。

 

常に足りない私たち

タイトルの『みかづき』は、我々人間の未完成さを皮肉る象徴として使われることもあれば、すべてを満たすことはできない「教育」の比喩としても機能している。非常に効果的なタイトルである。まあ、森絵都作品のタイトルの優秀さはいつも通りと言えばそうなのだが。

 

考えてみれば、私たちは常に足りないものに目を向けて生きている

 

自分の足りない部分が気になって仕方がない。

どんなに素晴らしい人が素晴らしい行ないをしても、やはり足りない部分を見たがってしまう。

 

汚い習性だが、きっと我々の祖先はそうすることで生き延びる可能性を高めてきたのだろう。

ぱっと見では欠けている「みかづき」だが、その実、欠けているように見えているだけで、月は常に球体である。観察している人間が勝手に「あれは欠けている」と言っているだけである。そんなこと言い出したら、満月だって裏側は真っ暗だし、隕石がぶつかりまくってクレーターだらけで気持ち悪い。

 

足るを知る、なんて名言がある。

足りないものを見るのではなく、今持っているものに目を向けよう、的な意味だと理解している。違っているかもしれんが、まあ大目に見てくれ。

しかしながら、先程も書いたように、現状で満足していたら我々はここまで進化していなかったはずだし、もしかしたらとっくに絶滅していたかもしれない。

そしていつまでも不満を言ったり、足りなさに目を向けるだけのハングリーさがあるからこそ、「次の世代には、未来はもっと良くなってほしい」という願いが生まれ、教育というシステムが構築されていくのだ。この願いは非常に尊いと思う。

 

私たちはいつまでも「みかづき」である。

でも「みかづき」だからこそ生まれる美しさが、いつだってあると思う。

 

以上。

 

 

 

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