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絶対に読んで欲しい本を見つけた。『あふれでたのは やさしさだった』

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どうも、読書中毒ブロガーの ひろたつ です。

どうしてもみんなに読んでもらいたい本があるので、ご紹介したい。

 

 

内容紹介

 

 

奈良少年刑務所で行われていた、作家・寮美千子の「物語の教室」。
絵本を読み、演じる。
詩を作り、声を掛け合う。
それだけのことで、凶悪な犯罪を犯し、世間とコミュニケーションを取れなかった少年たちが、身を守るためにつけていた「心の鎧」を脱ぎ始める。
「空が青いから白をえらんだのです」が生まれた場所で起こった数々の奇跡を描いた、渾身のノンフィクション。

 

私は読書中毒ブロガーと称して、面白い本を探してはブログで紹介するという活動を行っている。

基本的に教養が足りない私なので、小難しいことは分からない。

なので、とにかく「おもしろけりゃなんでもいい」というスタンスで本を紹介し続けていた。

 

しかしながら、今回紹介する『あふれでたのは やさしさだった』に関して言うならば、面白さとか興味深さとか趣味趣向とか、そういった要素はガン無視してでも知ってほしい。とにかく世にこの素晴らしい本を知らしめたい。喧伝したい。ウザがられても構わないから、押し売りしたい。

大の大人が、このように見境なくなってしまうぐらいの良書なのである。

 

 

この本が出版された経緯

 

まずこの本についてざっくり説明する。

 

今はもう閉所してしまった「奈良少年刑務所」では、全国初の試みとして受刑者の再教育プログラムが行われていた。

 

その内容というのが、受刑者に…

 

①「ソーシャル・スキル・トレーニング(ロールプレイング的に、実際の場面を想定して、受け答えの練習を行なう訓練)」

②「絵画」

③「言葉」

 

という3つの授業を受けてもらうというもの。

 

この授業では、一切の評価が付けられることはなく、どんな回答をしても受け入れてもらえる、という特徴がある。

※極端な例だと「答えたくない」だとしても「よく正直に言ってくれた!」と褒めてもらえる。

 

この授業において受刑者たちは、彼らの人生で一度もなかった「他人から認めてもらうこと」「他人を認めること」を経験する。

それによって自己肯定感を高め、同時に、他人もまた自分と同じように大事な存在であることを実感する。

自分を大事にできない人間は、他人もまた大事にできない。だからこそ彼らは犯罪行為に走ってしまった。

その根本を変えていくことを目的としたプログラムだ。

 

その中でも「詩」の授業を担当した作家の寮美千子が、受刑者たちの紡ぐ詩に感動し、ひとりでも多くの人にその素晴らしさを伝えたいと思い、出版されたのが以下の作品集。

 

 

 

この2作品は大変な反響があった。

 

受刑者、つまり元犯罪者に我々一般人が持っていたイメージを覆すような内容だったからだ。

これは芸術作品的価値があるかどうかとかを語るようなレベルではなく、読めばすぐに分かる。心にダイレクトに衝撃を与える作品たちだ。

 

あまりにも反響が合ったので、詩が生まれた経緯や、少年たちの刑務所での様子などをもっと詳細に記し、より立体的に詩集を“体験”できるように新たに本が執筆された。

それが『あふれでたのは やさしさだった』なのである。

 

 

犯罪者になる前は、被害者だった

 

まず、私は犯罪を容認したいという想いは一切ない。

むしろ犯罪は忌むべきであり、根絶できるものならしたいと思っている。その願いがあるからこそ分かってもらいたいことがある。

 

少年刑務所に入る少年たちは、重罪を犯した犯罪者である。

それは殺人やレイプ、強盗などだ。

彼らが犯した罪は簡単に消えるようなものではなく、被害に遭われた方の気持ちを考えると、非常に辛い。想像するのも嫌になるほどに。

 

しかしながら、そんな凶悪な犯罪を犯した少年たちもまた、実は元々は被害者であることが多いのだ。

 

激しい虐待やネグレクト(育児放棄)。感性が精細すぎるがゆえに誰にも理解されず、孤立してしまった少年もいる。

まともな教育を受けていない少年もいて、生まれてから一度も学校に行っていないため、刑務所内の授業で使おうとした童謡の「ぞうさん」を知らなかったり、「宿題」という言葉が分からなかったりするのだ。

これは私としてはかなりの衝撃だった。重篤な疾患や障碍などがなければ、日本の子どもたちのほとんどが小学校ぐらいは行っていると思っていたからだ。

 

しかし、光の届かない日本の闇の部分では、そんな悲惨な現状が確かにある。

 

この問題について、作者の寮美千子氏による、恐ろしく的確な文章があるので、一部引用したい。

 

童謡の『ぞうさん』や『宿題』という言葉を知らない子が実際にいるなんて、わたしには想像ができなかった。わたしは、分断化された社会の上澄みで、きれいな水だけを飲んで、のうのうと過ごしてきたに違いない。彼らに出会うのは、新聞の記事やテレビのニュースだけ。背後にある悲しい物語を知らず、社会に表出した最悪の結果だけを見てきたのだ。そして漠然と犯罪者を「怖い人々」だと思いこんでいた。

 

 

「自立」の反対は「孤立」 

 

本書に出てくる刑務官の方が、受刑者を教育する上で大切なことを語っていた。

それが「自立の反対は、依存ではなく“孤立”」であるということ。 

 

つまり、一人で社会に適応できないのは(犯罪などの反社会行為をしてしまったり、周囲の人間と上手に交流できないなど)、誰かに依存したり甘えているからではなく、精神が孤立してしまい、他人と交流する能力を失ってしまっているからなのだ。

乱暴な話をすると、生活保護で日常の困窮している現状を解消してあげるだけで、社会性を取り戻せたりする。

 

こうやって

・被害者が犯罪者を生んでしまう

・孤立させることが社会性を失わせる

などを考えていくと、やはり人に必要なのは、認めてあげることや、支えてくれる存在なのだとよく分かる。

だからといって無理に励ましたり、こちらの思い通りにしたいからと強制するのは違う。

相手を自然に受け入れ、否定せず、ただただ「存在を認めてくれている」と感じさせることが大事なのだ。

 

社会から孤立をなくしていくことで、犯罪者が減り、伴って被害者も減る。

 

 

犯罪者を保護する必要があるのか?

 

被害者の気持ちを考えると、「犯罪者の支援をするなんて!」と思われるかもしれない。残虐なことをした彼なのだから、ちゃんと懲らしめなければならない、と考える人もきっと多いことだろう。

実際、私は元々そういう考え方だった。悪には罰を。それも強烈な罰を。それが悪人に相応しいと思っていた。

 

しかし、本書を読んでしまった私にはもうそうやって考えることはできなくなってしまった。

これは被害者の気持ちを無視しているのではなく、この世界を少しでも良くしたいと願うからである。

 

 

これは希望の話

 

きっと今の日本にはまだまだ弱者への支援が足りてないのだ。

だからいつまでも虐待で殺される子供が減らないし、貧困にあえぐ人がいるし、生きづらさに苦しんでいる人がいる。

明るいものばかりを見るのは気持ちがいいし、そういうものばかりを見やすいように社会はできている。それもまた社会の一面ではある。

しかし光が届かないところで、それこそ今この瞬間に、また誰かが孤立に晒されているかもしれない。みんなが光を見るその背後で、うずくまっている人がいるかもしれない。

 

これは絶望の話ではない。希望に導くための話だ。これからもっと日本をよくするための、前向きな話である。

何かを良くするためにはまず、何がダメなのかをしっかりと直視することが求められる。問題の形がぼんやりとしている内は解決できないからだ。

 

『あふれでたのは やさしさだった』は、我々にとても大事なことを教えてくれている。

 

人はとても美しいということ。

つまり、美しい人たちで出来ているこの社会もまた、私たち次第で、いくらでも美しく出来るということ。

 

そして、美しくするための方法は、目の前にいくらでもあるということ。

 

この希望が、ひとりでも多くの人に届くよう願っている。

 

以上。