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誕生日はめでたくない

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どうも。

 

いつもクソほどの役にも立たない記事ばかりを書きなぐっている私だが、今回は珍しく有益な内容になってる。久々に読む価値がある。ぜひ読んでいただきたい。そして明日、周囲の人に偉そうにこの記事の内容をさも自分が考えたかのように喋りまくってもらいたい。

 

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誕生日はめでたくない

 

誕生日はめでたくない

 

私はこの事実に気付いてしまった。

一般的に言えば誕生日はめでたく、周囲の人間から無条件で祝われる権利を獲得する日だ。ケーキを囲み、新たな歳の始まりを祝う。時にはプレゼントなんぞをもらうことだろう。自分がリクエストしたものだったり、サプライズだったり色々あると思う。幸せな日になることが多い。

だが、あえて繰り返そう。誕生日はめでたくない。全くめでたくない。これっぽっちもだ。

だからこれからは誕生日なんぞ祝わなくていい。逆に言えば、誕生日に仕事の予定が入ったりして「今日は誕生日なのに…」的な悲しい思いを抱く必要もない。なぜなら誕生日はめでたくないからだ。

これは余談だが、私の職場で死ぬほど忙しい日があった。トラブル続きで、仕事が終わるのは23時を余裕で回りそうだった。みんな機嫌が悪く、職場の空気も最悪だった。

そんな中、ひとりの先輩女性社員(40手前)が突然、「私、今日誕生日なのにっ!」と大声で叫んだことがあった。

異常事態だとは思ったが、誰もが機嫌が悪く、ただただ早く帰りたいだけだったので、誰も彼女に叫びに応えることはなかった。

 

まあそういうことだ。

気付いたキッカケ

私が「誕生日はめでたくない」という事実に気付いたのはこの記事がキッカケだった。

www.miyahaya.com

素晴らしい記事なのでぜひ読んでもらいたいのだが、簡単にまとめると

「勉強に明け暮れていたとある女性が、勉強のしすぎで禿げてきたから、勉強を止めて花屋になった」

というもの。そして彼女は非常に珍しい「オーダーメイドの花屋」になった。花を贈る相手の素性を細かく聞き出すことで、贈る相手にふさわしい花束をつくってくれるそうだ。

 

「奥さんの誕生日にこれを贈ろう!」

私はこの記事を読んで真っ先に奥さんの顔が思い浮かんだ。奥さんの喜ぶ顔が見たいと思った。

普段は「アイス食べたい」と奥さんに言われたら、食べ終わった棒だけ渡すような私だ。そんなやつが「花束を贈る」なんて絶対に想像もつかないはずだ。これはサプライズになるし、オーダメイドの花束なんてそうそう見られるものじゃない。喜ぶのは間違いないだろう。

奥さんの誕生日は8月。今年のプレゼントを何にしようかと考えているような考えていないような感じだった私にはまさに天から射した光だった。これは貰ったと思った。

 

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あることを思い出した

また別の機会にでも書こうと思うのだが、先月、部下の女の子が亡くなった。

風呂場で心臓発作になり、そのまま亡くなったそうだ。

その日の昼は一緒に仕事をしており、何の前触れも無かった。本当に突然の出来事でただただ驚くだけで悲しみは無かった。死んだと言われても実感が無かった。

 

人は死ぬ。絶対に死ぬ。それは事前には分からない。

 

そんな当たり前のことに彼女は気付かせてくれた。

そして私は奥さんへの誕生日プレゼントを決めた瞬間に新たなる事実に気付いた。

もうお分かりかもしれない。

それはつまり「奥さんも明日いなくなってしまうかもしれない」というひどく当たり前の事実だった。

プレゼントを渡せなくなってしまうかもしれない

この記事を書いているのが5月。奥さんの誕生日まであと3ヶ月。この間に何があるかなんて誰にも分からない。もしかしたらプレゼントを渡せないかもしれないし、喜んでいる姿を見れないかもしれないのだ。楽しみだったものが後悔に変わるかもしれないのだ。大概、人は後悔してから学ぶ。だがそれでは取り返しがつかない。あまりにも遅すぎる。

もちろんそれは私にも言える。私だっていつ死ぬか分からないのだ。

 

これは当たり前なのに、とんでもなく重要なことだ。重要なことなのに私は今まで意識したことがなかった。手遅れになる前に気がついて本当に良かったと思う。

特別な日などない

いつ死ぬか分からない私たちは、生きているこの日、この瞬間が大事なのであって、それはいつか来る「誕生日」なんていうものだけではないのだ。いつだって大事なのだ。

もしあなたに大事だと思う人がいるならば、特別な日を待たずにすぐに「あなたが大事です!」と伝えるべきだ。好きな人がいるならば「好きです」と。感謝している人には感謝を。

大事な人に「あなたが大事」だと伝えるのに「誕生日だから」なんていう理由はいらないのだ。

もう一度、言う。

今、この瞬間が大事なのであって、誕生日なんかは特別でもなんでもない。特別な日は一緒にいられる今日だけなのだ。

 

これが私が「誕生日はめでたくない」と考えるに至った経緯である。

 

蛇足かもしれないが、もう一言だけ。

「誕生日」を祝うということは、「誕生日以外の日」は祝う価値がないということの裏返しだと思う。みんな「誕生日以外の日」の方が多いのだから本来ならばそっちの方が重要なはずだ。

まあ屁理屈だがな。

 

以上、健闘を祈る。