俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

“本屋大賞”の是非について

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本屋大賞が大好きです

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

皆さんは“本屋大賞”をご存知だろうか。ちなみに私は知っている。だからこんな記事を書くことにした。

 

このブログではよく書いているのだが、私はいち本好きとして本屋大賞を非常に信用している。面白い本を探す上で、かなり高確率で“当たり”を提供してくれる素晴らしい賞レースである。

 

権威は参考にならん

逆に全然参考にならないのが、安定の“直木賞”と“芥川賞”。さらにもうちょっとマイナーな所だと“日本推理作家協会賞”。この3つは完全に地雷。本の帯にこれら3つの賞のどれかの名前が書いてあったら警戒してもらいたい。全部が全部ダメだとはもちろん言わないが、「えぇ…」となる作品がかなりあるのだ。なので、似ているけど「◯賞受賞後第一作」であれば問題ない。

というか、今書いてて思ったけど、受賞後の第一作目だからなんだよって話である。受賞後の一作目と二作目だとやっぱり違うのだろうか。モチベーション?勢い?でも原稿って、本になるずっと前に書かれているのだから、きっと受賞後第一作目って、受賞が決まる前に書いたやつではないのだろうか?

まあいいか。きっと何か勢いみたいなのが感じられるのだろう。帯を見た人が。その勢いで買っちゃったりするのを狙っているのだろう。

 

「優秀ですよ」という顔をしながらヘマをよくする直木賞、芥川賞、日本推理作家協会賞に比べ、メフィスト賞はある意味で潔い。

あれは変態しか受賞しないとみんなが認めていて、特殊な地位を確保している。みんなが見逃してくれる野良犬みたいなもんだ。保健所に気をつけて、今後も細々と変態作品を世に放ってほしいと思う。私は読まないけど。

 

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本屋大賞の快進撃

で、本屋大賞に話を戻す。そうそう、この記事は本屋大賞の優秀さについて語りたかったのだ。

本屋大賞が思いの外盛り上がりを見せている。この記事を書いている現時点で15回目だ。第一回目から楽しんでいる私からすると、なんとも感慨深い。

読書好きには当然広く認知されているし、最近ではアメトーークで“読書芸人”をたびたび放送していることもあり、読書という趣味自体がかなり認知されるようになってきている。

本屋大賞は、この流れで普段本を読まない人が手に取りやすい本を探す上でも、企画として成功しているように感じている。

 

優劣を決めるべきはプロか素人か

さてそんな本屋大賞だが、投票をしているのは素人の書店員というのが肝である。プロが決めているわけではないのだ。

先程、非常に失礼な紹介の仕方をした直木賞と芥川賞は、作家が同業者の作家が選定している。例えるならM-1みたいなもんだ。客の評価ではない。

これは高い文学性や文壇への影響、小説そのものへの貢献などを考慮して決められる。プロにしか分からない領域、高いレベルでの判断が下されている、…らしい。素人の私には分からない。

このように、素人の評価とは必ずしも一致はしないのが悲しい所である。と書いてみたが一体悲しいのは誰なのだろうか。一般読者か、それともプロの方々なのか、出版業界全体か。

でも素人が評価するのと違うからこそ、この賞らの価値がある。プロが決める意味がそこにはある。

 

しかしながら、小説を読むのは大半の人が私のような素人だ。お笑いを観るのだって、99%は素人だろう。であるならば、素人が勧めるものが一番素人に向いていると考えるのは、そこまでおかしな話ではないと思う。会話もそうだが、やはり同じレベルにいる人同士でしか通じ合わないものというのは確実にあるものだ。

なので、別に「本屋大賞こそ至高」なんていう愚かなことは言わない。私のような初心者~中級者程度の人にとってはピッタリな賞であるだけだ。

 

嫌われる本屋大賞

どこかの有名作家が本屋大賞について非常に辛辣な意見を発表していたが、それはそれで一理あるとは思っている。

私なりにその方の意見をまとめると、「素人が何を偉そうに」ということである。作家でもない人間が、ただの売り子である人間が権威を持ったようなフリをするな、ということらしい。

私は素直な人間なので、「確かに」と思った。でもそれで終わりである。「でも本屋大賞で紹介されてる本、最高だけど何か?」である。

 

確かに賞レース全般に言えることだが、そこに引っかからなかった本が、埋もれてしまう現象が見られる。

現に私が「これ超面白い!誰にでもオススメできる!」と思った本が本屋大賞から漏れていることはしょっちゅうある。そして全然売れないまま埋もれていく。

それは悲しいことだと思う。順位を着けることで生まれた悲劇である。

しかし悲劇もまたエンタメであることは動かしがたい事実である。残酷さはエンタメの養分だ。

ランキングをつけることによって、人は興奮する。ギャンブルなどと違って、本の場合はもっと静かな興奮かもしれない。だがそれが購買意欲に直結しているのは、誰もが認める所だろう。

やはり商売にエンタメは大きな効果を発揮する。

 

売れる作品の真実

あと、本好きの経験から言わせてもらえると、単発の作品が埋もれてしまうことはあっても、面白い作家が埋もれることはまずない、ということだ。

つまり一発屋だから埋もれてしまうだけであって、面白い小説を“書き続ける”作家は絶対に注目され、売れる。これは間違いない。面白い芸人は、時間の長さに差はあるだろうが、絶対に売れるのだ。なぜなら人は面白いものが好きだからだ。 

 

また、これもまた普遍的な事実なのだが、大衆に受け入れられるものは総じてレベルが高くない。多くの人に受け入れられるのは、分かりやすいものだからである。

なので文学的価値が~みたいな話をしたいのであれば、本屋大賞は相容れない存在だろう。

本屋大賞は言うならば「駄菓子総選挙」みたいなものなのである。

栄養価とか、産地とか、製造方法とか、味とか、そういう細かいことは全部放り投げて「どれが好きですか?」というバカみたいな質問をした結果が本屋大賞である。 

頭の良い人には若干残念に映るかもしれないが、それで喜んでしまう多くの人がいるから、仕方ないと諦めてもらえると助かる。

 

誰が助かるかって?

不況に喘いでいる出版業界じゃなかろうか。

 

以上。