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あなたが満足する収入額を教える

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自分の年収が低いとか、一体何を基準にしているのやら。

 

お金の話をしよう 

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

今回の記事はみんな大好きお金の話である。

 

先日この本を読んだのだが、そこに非常に興味深く、そして身につまされるようなことが書いてあったので、ぜひ皆さんと共有したいと思う。

それがずばり「あなたが満足する収入額を教える」というものである。

ご自身ですでに十分理解されている賢明な方もいらっしゃるかもしれないが、人間の欲望というものはびっくりするぐらいに際限がない。収入に関しても、いくらでも欲しがってしまう。しかし、ある程度の満足感を偉える金額というものが存在するのをご存知だろうか。というかきっとみんな身に覚えがあることだと思う。まあ騙されたと思って読み進めてみてほしい。

 

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とある実験の話

上で紹介した本『予想どおりに不合理』では、人間がいかに合理的に行動しないかを数々の実験によって証明している。

人は誰しもが損得を考えて動いているはずなのに(損得を強く意識していたとしても)、まったく合理的ではない行動を取る。これが本当に笑ってしまうぐらいなのだ。

 

例えばこんな実験がある。

とある新聞の広告。
その新聞にはふたつの購読方法がある。
ひとつはオンライン上。これは年間購読すると、5000円かかる。
もうひとつは新聞紙で印刷されたもの。これを年間購読すると、10000円になる。

ここまではいいのだが、ここに最近さらに新たなコースが追加された。
それは、
オンラインと紙の新聞、両方を年間購読すると10000円。
というもの。

どうだろうか。
もう一度まとめておこう。

 

①オンライン上で年間購読5000円

②印刷された新聞紙で年間購読10000円

③オンラインと印刷された新聞紙で年間購読10000円

 

この3つの選択肢があった場合あなたはどれを選ぶだろうか。また、他の人がどの選択肢をどれだけ選ぶと予想するだろうか。

これをマサチューセッツ工科大学の学生100人に、3つの中から選んでみてもらった結果、以下のようになった。 

 

①オンライン上で年間購読5000円ー16人

②印刷された新聞紙で年間購読10000円ー0人

③オンラインと印刷された新聞紙で年間購読10000円ー84人


なるほど。

きっと皆さんが予想した数字に近しい結果になったのではないだろうか。

さて。

ではこの結果を見る限り、②の「新聞紙だけで年間購読する」という選択肢は何の意味もないし、選択肢としての価値もないように思える。なぜならそれを選んだ所で、誰も得をしないからだ。そして現に誰も②を選んでいない。


では次の実験を見てみよう。

次はさきほどの三択から、価値がないと思われる②の選択肢を消してみた。

つまり以下のようになる。

 

①オンライン上で年間購読5000円
②オンライン上と印刷された新聞紙で年間購読10000円

 

さきどの実験と同様に大学生のどちらのコースを選ぶか決めてもらった。

その結果は以下である。

 

①オンライン上で年間購読5000円ー68人

②オンライン上と印刷された新聞紙で年間購読ー32人


最初の実験とはほとんど真逆の結果になってしまったのだ。

何の価値も無かったはずのあの選択肢が、私たちを(もちろん世界有数の頭脳を持った学生たちをも)翻弄する要因になっていたのだ。

この結果によって、いかに私達が「比較することで価値を判断しているか」についてよく分かってもらえただろう。

 

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満足する収入額とは?

さて話を今回のテーマに戻そう。随分と遠回りをしてしまったかもしれない。

誰もが際限なく欲しがる収入。これに関しても、我々は一定の基準を持って「満足度」を決めている。

つまり自分の収入を「誰かと比較する」ことでその価値を判断し、満足するのだ。そこに私たちの満足する収入額の答えがある。

私たちが満足する収入額、それは『予想通りに不合理』の中でこんな言葉によって説明されている。

 

20世紀のジャーナリストにして、風刺家、社会評論家、皮肉屋、自由思想家だったH・L・メンケンは言った。いわく、給料に対する男の満足度は、妻の姉妹の夫より多く稼いでいるかで決まる。

 

既婚者であり、実際に奥さんに妹(もちろん既婚者)がいる私は、これを読んで思わず笑ってしまった。まさにその通りだったからだ。

 

これに似たような例を挙げてみよう。
当然、妻が自分の夫の収入に満足するのは、自分の兄弟や夫の兄弟よりも高収入だったときだろう。

また学生時代のクラスメイトを思い浮かべてほしい。最近会った友人もいれば、何年も会っていない人もいるだろう。そんなクラスメイトの中で現在のあなたが一番稼いでいるとしたらかなり満足するんじゃないだろうか。

例えばクラブ活動のメンバーの中で一番。

例えば同じマンションの中で一番。

例えば会社で隣に座っている同僚よりも多く給料を貰っていれば。

例えば世間を賑わせていた実業家が、事業に失敗しあなたよりも収入が低くなったとしたら。

 

このように私たちは「自分たちが目を向けている範囲」の中で「自分が上位」であることを認識さえすれば、それで満足してしまうのだ。なんとも浅ましい生き物である。それと同時に悲しい生き物でもある。

これはつまり、見ている範囲を広げれば広げるほど、自分の収入額に満足できなくなるということを意味している。

たとえ同じ給料だとしても比べる対象が変わるだけで、満足することもあれば、不服に感じることもあるのだ。そこに揺るぎない基準なんてものはない。いつだってぐらんぐらんだ。そしてそれが私たち人間の姿である。

 

さて、あなたの満足できる収入額はいったいいくらなのだろうか。

そしてそれはなぜその金額ではないといけないのだろうか。

手に入れたお金は何に使うのだろうか。

そこで手に入れたものはあなたの人生において本当に必要なものだろうか。

 

以上。