俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

ずっと真面目に牧師をやってきた人よりも、元ヤクザの牧師の方が注目されるという皮肉に対して

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人は面白いものに集まる 

どうも。

 

この世の中の大前提として、面白いものに人は集まる、ということがある。

面白いというのは、例えば「笑える」だとか「感動する」だとか「切ない」だとかあるが、突き詰めるとそれは「珍しい」ということに他ならない。希少だからこそ人はそこに価値を見出し、一目見たいと思う。

 

で、結構前の話なのだが、ラジオで松本人志が「元ヤクザの牧師よりも、ずっと真面目に牧師をやってきた人の方が偉い」という主旨の発言をしていた。きっと、「珍しい、というだけで評価をしてしまう人」に対して一石を投じたかったのだろう。その気持も非常によく分かる。何も考えず、何の正しさも推し量ることもせず、とにかく珍しいものに殺到してしまう群衆の愚かさはとても見苦しい。もちろん私もその一員になることがよくあるから、あまり偉そうなことは言えない。

刺激のないことに人は集まらない。興味を持たない。

例えばそれは、刺激とは別世界と思われるような大自然や寺院などでも同じで、リラックスしたいとか言いながらもわざわざそんな所に出かけるのは、そこにある“非日常”に触れたいからである。本当に癒やされたいのならば、いつも寝ている布団でぐっすり眠るのが一番のはずだ。疲れてるなら休め、ゆっくりと。

 

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どちらが偉いのか? 

最初の話に戻る。

ずっと真面目に牧師をやってきた人と、元ヤクザの牧師。

どちらが偉いかというとなかなか難しい問題である。

ずっと真面目に牧師を続けること、というのは継続という難しさを乗り越えてきた偉さがある。

その一方で、ヤクザという牧師とは真逆の世界に身を置いていた人間が、足を洗い、人を癒やす側に回る、というのも成長や変化を受け入れたという偉さを感じる。

これだけを見るならば、どっちもどっちである。偉さの質が違うだけだ。

 

地味な人は評価されない、という嘘

もしかしたら真っ当な人が真っ当に評価されない、的なことを松本人志は言いたかったのかもしれない。地味なだけで人は評価されないというのはよく聞く話である。

しかし私の見る限り、真っ当な人は、真っ当な評価をされている過剰に評価されないだけだ。そこには人の興奮を喚起するものがなく、良くも悪くも冷静な評価対象になる。会社で地味だけど真面目にコツコツとやる人なんかがそうだ。

その一方で、元ヤクザ的な評価は珍しく話題性がある。人の興味を累乗的に集めることができる。しかもこの“元ヤクザ”の例であれば、ヤクザという自分たち一般人からすれば畏怖すべき存在のものが、自分たちの味方になるというマイナスからプラスへの変化がある。コツコツにはないインパクトがそこにはある。不良が犬の散歩をしているのと同じ現象である。元アイドルのAV女優は…違うかな…?

 

コツコツとインパクトのどちらが大切か? 

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この問題は「コツコツとインパクトのどちらがいいか?」という問いになると思う。

 

人々が求めて止まない成功というものは、コツコツとインパクトのどちらによって生み出されるだろうか?

今のユーチューバー的な風潮を見る限り、多くの人はインパクトで何とか抜きん出ようとしているように見られる。確かにバズを狙うことは有名になるために非常に有効な手段である。シンデレラになれるかもしれない。それにバズったときの快感は最高である。何度でも欲しくなるだろう。

しかし、やはりそれも結局は一過性のものであり、継続した結果を出さない限り、人は次なるインパクトに目を奪われ、去っていくだろう。シンデレラの魔法は一夜限りだった。

でも彼女の美しさは継続されていたので、結果的に成功を収めることができた。

結局は継続した結果が必要になるのだ。インパクトはきっかけにしかならない。

一発屋で終わってきた芸人を腐るほど見てきたから、みんなもよく分かっているだろう。

 

なので、コツコツとインパクトのどちらがいいか、という問に対する答えはこれである。

 

インパクトは人の注目を集めるためには必要不可欠。

しかしその後の評価を得るためにはコツコツやるしかない。

 

以上。

 

 

 

 


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