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あきらめるどうこうよりも、生きているかどうか

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当たり前すぎる話。

 

継続は力になった

どうも、ポンコツブロガーのひろたつです。

そろそろブログを書き始めて丸2年が経とうとしているが、当初想像していたような結果は今のところ出ていない。だけど、2年前とは比べ物にならない結果が出ていることも事実。

ブログに限ったことではないが、継続はやはり結果を生む。結果だけではなく、力にもなった。文章を作ることのハードルが下がりまくった。ブログを通して色んな経験もさせてもらった。

継続が生み出すものは多い。それは確かだ。だからこそ、世の中では「継続が大事だ」と言われ続けている。逆に継続できない人間はダメ人間の烙印を押されることもある。

 

でも実はそれよりも大事なものがある。みんな前提を見誤っている。

それは、生きていることだ。

 

こんな当たり前な話はないだろう。

 

あきらめても試合終了ではない

「あきらめたらそこで試合終了」

「止めなければ負けではない」

なんてことが言われるが、これは正確ではない。そんなことはないだろう。本当の試合終了とは、死ぬことであり、それまでは永遠に試合は続いているようなものだ。

だから、別にひとつのことに執着する必要はないし、ひとつの勝ち負けにこだわる必要もない。それよりもまずは“生きていること”である。

本当はそれだけで十分なはずなのだ。でも人には承認欲求という呪いがかかっているので、他人の目が気になる。賞賛が欲しくなる。人よりも抜きん出たくなる。

ハードルを上げるから余計な苦しみを生む。そして、その先にあるのは、生きているという大前提を無視した、自己否定、である。

 

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いなくなっていった友人たち

こんなことを書いているのには理由がある。

私は幸か不幸か分からないが、周囲で死人が多い。まあ30年も生きていればそれなりに知人に死ぬ人間が出てくるのは当たり前かもしれないが、それでもかなり多い方だと思う。

 

登校途中、トレーラーの左折に巻き込まれて死んだ子がいた。

学校に内緒でバイクの免許を取り、真夜中の高速を走っている最中に転んで死んだ男がいた。

中学からドラムを始めて、プロのオーディションに受かったにも関わらず、覚醒剤に手を出した挙句、飛び降り自殺した奴がいた。

初めての子供を授かりながらも、出産間際、胎盤剥離を起こし意識不明に。意識がないまま出産し、結局赤ん坊の顔を一度も見ることはないまま死んだ子がいた。

 

彼らの全てが終わった。

あまりにも無残で残酷な事実だ。

 

だからせめて、残された私は、いや言い方は悪いが“残ることができている私は”彼らの死から学ばなければならない。

 

時間を何で埋めるか

そんなことを考えると、出てくる答えは至ってシンプル。

楽しく生きよう。自己否定なんぞしている場合ではない。

そんな脳天気な答えになってしまう。アホ丸出し、責任感の欠片もない答えだが、これ以上の答えを見つけられる気がしない。

 

楽しく生きることの前では、あきらめることも、継続できないことも大したことではない。それ以上に大事なことはない。間違いない。だって、どうせ死ぬんだから。残された時間が限りあるものである以上、楽しむ以外に道はない。

だから究極を言えば苦しむ必要も、悩む必要もない。ただただ自分の楽しさを追求すればいいだけなのだ。

 

あきらめることを悪だと考えてはいけない、と言っているのではなく、自分が納得できることをやればいい、と言っているのだ。その答えは自分自身しか持っていない。何なら自分だって持っていないかもしれない。でももしそうだとしたら、見つけられるのは自分しかいないだろう。それは確実に言える。

 

誰しもに残された時間があり、限られた時間しかない。

その時間を一体、何で埋め尽くそうか。

 

考えるだけでワクワクしてこないだろうか。

 

以上。