どんな素晴らしい人間でも、欠点のひとつやふたつはある。いや、いくらでもある。完璧じゃないことこそ人間の特徴である。
欠点が大好きな皆様
でも、どうしても人は自分の欠点ばかりに注目し、自分を責めてしまう。自己嫌悪に陥ることもある。
それは他人も同じで、自分だって欠点だらけのクセに、周囲の人間の悪いところばかりを見ようとする。
もしかしたら、そうすることで安心しようとしているのかもしれない。「ダメなのは自分だけじゃないんだ」と。
それはそれでかまわないのだが、お互いにダメなのだったら、批判なんぞせずにお互いに許し合えばいいと思うのだが、なかなか上手くいかない。
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自分くらいは自分を認めよう
人は他人を批判するのが好きだ。手間もお金もかからない娯楽である。そりゃ病みつきになるだろう。
でも、だからこそあなたは、あなた自身を否定するべきではない。自らを劣った人間だと決めつけて追い詰める必要はないのだ。
他人は放っておいても勝手に批判をしてくる。たとえそれがどれだけ素晴らしい人間だったとしてもだ。
だからこそあなたぐらいは自分を認めてあげるべきである。そうやってバランスをとるべきだ。
愚者は批判で生きている
基本的に大衆(私も含む)は愚者の集まりである。
愚者は他人の悪いところや欠点、落ち度を見つけるのが大好きで大得意。好きなことで生きている人たちなのだ。
だからそんな愚者たちは、どんなに素晴らしい人だとしても、どこからしらに批判するべきネタを見つけ出す。というか、作り出す。色んな角度から観察し、比べ、比較し、新たな問題点を引き出す。
なにか別の分野に応用すれば、非常に有益な能力のような気がするが、愚者はなかなか生産的な行為に及んではくれない。
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最大の理解者は自分
だけど自分は違うだろう。
少なくとも自分は、自分の良いところや好きな部分を知っているはずだ。
それは自己評価で全然かまわない。むしろ、他人の余計なフィルターを通さない分、純度が高いかもしれない。
中には自分で自分を否定することで、それを活力とする人もいて、世間的にはそういう人の方が評価されやすい。そういう傾向がある。
だけれども、自分を否定してもただただ辛くなるだけなのであれば、すぐに止めるべきだ。そんな自傷行為には何の意味もない。
どれだけの欠点を抱えていたとしても、自分ぐらいは自分を許してあげよう。そして長所を褒め称えよう。
心を軽くしよう
人には得手不得手がある。できないこともある。
手の無い人にはジャンケンができないだろう。だけど、口を使えばできる。いくらでも方法はあるだろう。それに別にジャンケンにこだわる必要だってない。
できないことで自分を追い詰めてはいけない。自分という形を認めよう。もしかしたらあなたの理想からしたら歪かもしれない。でもそれが自分なのだと認めよう。
欠けている部分を嘆くのではなく、今ある自分の形を好きになってみてはどうだろうか。
きっと心が軽くなるはずだ。
以上。