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世の旦那達は『コウノドリ』を読んで奥さんの偉大さに気付け。正座しろ、いや土下座だ。

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どうも。

語らずにはいられない作品に出会えた。これはブラックジャック以来の感動かもしれない。それは言いすぎか…。

コウノドリ(1) (モーニング KC)

鈴ノ木 ユウ 講談社 2013-06-21
売り上げランキング : 7987
by ヨメレバ

 

ドラマ化もされたこちらの作品『コウノドリ』である。

魅力があまりにもたくさんたくさん詰まったこの作品について語ろうじゃないか。私の拙い文章でも、この作品の素晴らしさがあなたの心に伝わることを期待したい。

 

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あらすじ

出産は病気ではない。だから通常の出産に保険はきかない。産科医療は怪我や病気を治す訳ではない。なので通常の出産に産科医は必要ない。だが、何かが起こりうるから産科医は必要なのだ──。年間約100万人の新しい命が誕生する現場の人間ドラマ、開幕!

主人公の産科医である鴻鳥サクラを軸に据えた人間ドラマである。

物語をケチらない

『コウノドリ』の物語は基本的に時系列ごとに並べられている。途中途中で回想シーンなどは入るが、基本的には時間通りに流れていく。

この作品を見る限り、産婦人科は地獄のような忙しさであるようだ。そんな忙しい毎日の中で巻き起こる医者と母親と新たな生命のドラマがこの作品の見どころである。

私が『コウノドリ』を読んでいて感心したのは、ドラマの多さである。一冊の中にこれでもかとつめ込まれている。一話ごとに患者や物語の色が変わり、私たちに常に新たな問題を提示して揺さぶってくる。一冊の中でこれだけ色々な物語があるというのはなかなか珍しいことだ。こういったオムニバス形式のマンガは巻数を重ねるにつれ、ひとつの話を長引かせがちである。作者が新たな物語(問題)を作り上げることよりも、ひとつの物語を長引かせる方がラクだからなのだろう。これはギャグ漫画とかギャンブル漫画の途中で戦闘シーンが入るのと同じ理屈である。

その点、『コウノドリ』は物語をケチらない。

次々と提供される物語はどれも上質で、むしろこちらの感情が追いつかない部分もあるぐらいだ。ぜひとも時間をかけて読んでもらいたい作品である。

本物が認める

私の知り合いに産婦人科に務める人がいる。機会があったので、「コウノドリって読んだことある?」と聞いたことがあるのだが、相手から食い気味に「あれいいよ!」と言われた。

どうやら彼女が語るには『コウノドリ』は本物らしい。

扱っている患者の状態や妊婦、周囲の人間たちの感情や悩み、葛藤など現場で感じるままなのだそうだ。

漫画はいくら真実に迫ろうがフィクションである。そこには感動を煽るために問題を誇張してみたり、登場人物たちにむりやり困難をぶつけてみたりする。そしてそこから奇跡的な回復を毎度してみたりするものだ。これは演出上仕方ない。みんな過激さがないと受け付けられないぐらい鈍感だからだ。

しかし『コウノドリ』は実際の産婦人科に務める人間から見ても「本物」なのだ。

これは凄いことだと思う。その道のプロに認めれられる漫画って…。

奥さんに頭が下がる

本物が認める物語ということを考慮すると、2人の子供を持つ私は奥さんに頭が自然と下がってしまう。下げた頭を地面に擦り付けたいぐらいである。

妊娠、出産なんて自然なことだから「なんとかなるだろ」という気持ちで今までは受け入れていたが、『コウノドリ』で様々な妊婦と出産を見てしまった今、私は素直に「出産は怖い」と思ってしまう。あんなに命がけだったなんて…。

ホント、世の旦那たちは奥さんの偉大さに気付いた方がいいと思う。そうすりゃ感謝の気持ちも自然と出てくるというものである。

女性は偉大である。

なんてことを書くと、「子供ができない人の気持ちも考えろ!」なんて言われてしまうだろうか?私が誰を尊敬しようと勝手だろう、放っとけ。というふうに、脳内の誰かと勝手に口論を始めるなんてのはみんなもあるのだろうか?これはただの雑談である。

 

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人を動かす

私が名作の条件としてたびたび話題に挙げているのが、「人を動かす」ということである。

作品に触れた人が、誰かに勧めたり、映像化したり、こうやって感動を記事に起こそうとしたりと、行動に移させてしまうことだ。

『コウノドリ』にももちろんその要素がある。

ただそれは単純に「作品の素晴らしさを伝えたい!」というものだけでなく、自分の生活にも影響をおよぼすものである。

というのも、私は『コウノドリ』を読んでからかなり妊婦を意識するようになってしまった。優しくせずにはいられないのだ。

それに最大はこれだろう。完全に啓蒙されてしまった。

www.nhk.or.jp

風疹の怖さを知らない人は多いと思う。だからこそ怖いのだ。

風疹はひどい症状が出る場合と、まったく出ない時がある。つまり風疹に罹っていることに気づかずに終わる人もいるということだ。

そんな「風疹に気付いていない人」が妊婦と接触し感染させてしまうと、お腹の中の胎児に重度の障害が発生してしまうのだ。

私はこれを『コウノドリ』の中のエピソードで知った。無知とは怖いものであると再認識した。

注射一本で予防できるそうなので、ぜひみんな予防接種をしてもらいたいものだ。私も来月行く。

 

このように、非常に大事で即実行するべきことを教えてくれる作品なのである。

主人公はサクラに非ず

作品自体の構造についても少し語りたいと思う。

ちなみにここから先は実際に読んだ方でないと分からないかもしれないので、未読の方は「へぇ、そうなんだ」ぐらいにしか思えないだろう。ただネタバレはしないのでご安心を。

『コウノドリ』は主人公の鴻鳥サクラを中心に物語が展開する。

しかしこれは物語の形式上の話であって、実際に物語の中心(ドラマが起こる所)はサクラではない。つまり主人公はサクラではないのだ。

実際に読んだ方は分かると思うが、『コウノドリ』の中でサクラが葛藤したり惑うシーンというのはほとんどない。作品の中で彼は神に近い存在となっている。ゆえに彼の言葉や言動に我々は感動したり、真実に気付かされたりする。これは擬似的な宗教とも言える。

では物語の主人公は誰なのか、という話になるのだが、それはもう妊婦である。またはその家族だろうか。

物語というのは、問題が発生しそれが解決するまでの流れのことである。つまり問題が発生している所で苦悩しているのが主人公なのだ。主人公が苦悩するからこそ、私たちは読みながら一緒に悶え、悩む。そしてだからこそ問題が解決するときにカタストロフィーを得られるのだ。

悩む妊婦たちと神のような存在であるサクラ。この構図が時に慈悲深く、時に残酷な人間ドラマを作り出しているのだ。神は役割を全うするだけである。そこにある人の感情は問題ではないのだ。

私はまだ10巻までしか読んでいないのだが、これから先サクラが悩んだり惑ったりするときが来るのならば、その時にやっと彼が主人公だと呼べることだろう。

 

以上。

 

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