なぜ自分の人生はこんなにも上手くいかないのだろうか?
世の中を見渡すと、成功している人間ばかりが目につく。あれか、成功してないやつは私の視界から消えるように設定されているのか。本当はもっといるのか。
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井の中の蛙、大海を見て後悔
私は職場では管理職を任されている。というか、ただ単に会社的に都合が良かった人間が私だっただけで、能力を評価されたわけではない。
そんな私は、会社という井戸の中にいればそれなりに最強だ。偉そうにできる。ふんぞり返れる。それはもう見事なまでの反り返りで、部下にはブイブイ言わせて椅子の背もたれにはギシギシ言わせる。みんな、備品には優しくしよう。
話が逸れたが、私は職場にいる限りは優秀な人間でいられる。しかしひとたびこの広い世の中に目を向けると、私よりも遥かに優秀な人材がゴロゴロいる。私のなけなしのプライドは一瞬で粉々だ。正直、自分の能力の無さに死にたくなった。
世の中、色々な蛙がいると思うが、器の小さい蛙が下手に大海を見ると死ぬことになるので要注意だ。
自分には何があるだろうか?
そんな私だが、死にたくなってばかりいても仕方がないので、建設的に考えたいと思う。
こんな私でも何か人に誇れるものや、世界に通用するようなものはないだろうか?
まず私には多数の部下がいる。その数は100人。これだけの部下を抱えている人間はそんなにいないだろう。少数派である。少数派ということは希少価値があるということだ。これはどうやら活かせそうだ。
しかし私は最初にも書いた通り、能力が評価されて今の地位に就いたわけではないのだ。部下を魅了する圧倒的なリーダーシップもなければ、顧客を心を惹きつけるWHYもない。
つまり空っぽなのだ。頭がという意味ではない。ノウハウがない、という意味だ。そうなると頭が空っぽと同義かもしれないが、そこまで自分を貶める気はない。
次は音楽である。私は高校三年間、超強豪の吹奏楽でしのぎを削った経験がある。これでも音楽には詳しい。
しかし音楽に詳しいからといって、それが何なのだろうか。お金になるだろうか?人に影響を与えることができるだろうか?少なくとも私はこの知識を活かす方法を知らない。
本はどうだろうか。私は異常なまでの読書狂だ。本がないと死ぬ。間違いなく死ぬ。明日の食事よりも明日の本が無いほうがキツイ。死ねる。まあさすがにそれは嘘だが、最悪食事がなくなったら本のページを破って食べればいいのだ。ファック、電子書籍。
そんな私なので今まで読んできた本の数は数え切れない。その中には誰にでもオススメできるような面白い本もあれば、人生観が変わるような素晴らしい本もある。
これを人に薦めるというのはどうだろうか?
いや、今の時代、ただで楽しめるものはいくらでもある。本なんぞにわざわざお金を出すような酔狂な輩は日本に私ぐらいしかいないだろう。
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文句はいくらでも言える
とまあ適当に書き連ねてきたわけだが、半分本音で半分冗談である。
こんな私でもそれなりに誇れるものや、世界に通用するものがあるようである。
その価値を確かめもせずに世界に対して文句を言うのはバカでもできるというものである。というかバカは総じて世界に対して文句を言うものだ。
私はバカかもしれないが、それなりに自覚のあるバカであり、成長したいと常々思っている。これは真実だ。
素直さが強さになる
成長という言葉はいい。自分を認め、自分の中にあるものを大きくしようとする素直な気持ちを感じられる。
多分、世界で一番強いものは素直さだと思う。
自分を認める素直さ。周りを認める素直さ。色々と不満はあるけども、それでも生きていくしかない世界を受け入れる素直さ。
成長とは「足りない」と自らを奮起し大きくする行為だと考えていた。
しかし本来、成長というのは無意識で行なわれるものであり、子供は大人になろうとはしていないし、植物は花を咲かせようとはしていない。勝手に成長するのだ。
いつから私はこんなにも成長することが下手になってしまったのだろうか。あんなにも自然に成長していたはずなのに。
きっと私はもっと自分の持ち物で満足するべきなのだと思う。そして自分のできることに注視し、夢中になることが大事だ。夢中になる人間は強い。揺るがないからだ。
子供のように自分のできることに夢中になろう。そんなことを思った次第である。
以上。健闘を祈る。