どうも。
最近、巷で「小遣い制の旦那は奴隷だ」的な話題で盛り上がっているらしい。
私が見かけた意見をまとめるとこんな感じだ。
主な反対意見
・小遣い制の男は思考停止。自分で小遣いを増やそうという意識がない。
・小遣い制の男には何の魅力もない。だから若い子が結婚しようと思わない。少子化も加速する。全ては小遣い制が原因。
・小遣い制の男はマゾ。
・お金の管理が得意な方が管理すべき。
主な賛成(?)意見
・普通の家庭は誰が家計を管理しようが、小遣いが1万、2万ぐらいに落ち着く。
・むしろ旦那が管理するようにしたら小遣いが確保できなくなった。
なんだかあれだな。悪い意見ばかりだな。
反対意見の人は小遣い制の男を奴隷だと言い、賛成派は「それは仕方ないことだ」と言っている。
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夫婦というのは戦争である
これは私の意見ではない。昔、島田紳助がテレビで語っていたことだ。
「夫婦っていうのは陣地争いみたいなものやねん。ちょっとでも相手に譲歩したらそっから攻めこまれてしまう。だから自分から譲ったらあかんねん」
私はこれを独身時代に聞いて、「クソみたいだな」と思った。
そんな奪いあうような生活を送る世の夫婦達をクソだと思ったし、そんな関係性にしかなれない人間というものがクソだと思った。
信用することと信頼することの違い
家庭でも仕事でも同じだが、仕事を頼んだ相手が自分の見ていない所で何をしているのかなんて分かるはずがない。そんなとき不安になってしまう人はチェック体制を設けたり、自分の不安から目をそむけたりする。
不安に対してどのような対応を取ろうがその人の勝手だが、私からするとそもそも「不安になるような人に任せている時点でクソ」だと思う。
もっと言うと、「家計すら任せられないような人を奥さんにするんじゃねえ」と思う。
みんなが混同しがちなのだが、「信用」と「信頼」することは全く違う。
信用というのは「結果を求めること」であり、信頼することは「目的を共有すること」だ。
わざわざ国語辞典で調べる気はないので、完全に私の感覚の話だ。
信用というのは交換条件に近い。「私はこれをするから、あなたはこれをしてね」的なやつだ。なのでどちらかが結果を出せないと途端に関係にヒビが入る。
しかし、信頼は必ずしも結果を求めない。目的を共有し、互いに同じ方向に進むことを目的とする。
夫婦は最強の仲間である
結婚相手というのは、人生という荒波を一緒に乗り越える仲間であり、最大の戦友なのだ。たまに上官のようなときもあるが、まあそれでも構わないだろう。
役割を分担し合い、傷ついた時には癒やしてもらい、辛いときには支えあう。なんだか聖書の一節のようだがこれに尽きるのだ。世の夫婦はあまりにも敵対しすぎだ。敵と毎日顔を合わせるなんて地獄でしかないだろう。
夫婦は仲間なのだから、金の管理をどちらがやろうが構わないし、もちろん得意な方がやる方が効率はいいだろう。好きにしたらいい。
だがそこで、「こいつは自分に隠れていい思いをするんじゃないか?」と思ってしまうようであれば、どちらが管理しようが待っているのは地獄だけだろう。限られたパイを奪い合う餓鬼畜生の世界がそこで形成されるだけだ。
雲の糸を垂らしてあげたい所だが、あいにく他人の地獄を見るほど私は酔狂な人間ではないので、勝手に心をすり減らしてくれればいい。
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許せるかどうか
我が家の家計は奥さんに任せている。正直に言って、奥さんが私に隠れて高級ランチに行こうが、浮気して若い男に貢ごうが分からない。
最悪を考えだしたらキリがない。しかし単純に私の気持ちはこうだ。
「自分の奥さんなら大丈夫だろう」
または
「無駄遣いしてたとしても、まあいいか」
という感じだ。
戦場で兵士がいちいち仲間に対して「あいつ逃げてないよな。無線で確認してみよう」とかはならない。信頼が前提になっていると思う。戦場なんて行ったことないけど。
それと同じで奥さんのことは完全に信頼しているし、望むような結果になっていなかったとしても許せる覚悟がある。だからこその信頼だ。
これは難しい部分だとは思うが、私のこの無防備なまでの信頼感があるからこそ、私の奥さんは同じように私を信頼し、一緒に進んでくれているのだと思う。大事なのは自分から信頼するということ。
信じられないからルールが必要になる
職場には色んな人間がいるので、結果を出したり、管理するためにはルールが必要になる。
しかしルールというやつは不思議なもので、ひとつ決めると細かい部分での食い違いが問題になり、また新しいルールが必要になる。更にそれを管理するためのルールと人材やシステムが必要になり、と地獄のようなループができる。
小遣い制に文句を言っている人も、奥さんに「無駄遣いしない」というルールを守ってもらえれば文句はないのであろう。
ルールは相手を信じられないから必要になる。
確かに最低限のルールは秩序を守るためには必要だ。みんなが同じルールを守っていると安心する部分はある。
しかしルールというのは基本的に、「あなたを信じていませんよ」という言葉が裏に潜んでいることを忘れてはならない。信じることができなければ、いくらでもルールは必要になるのだ。
では健闘を祈る。