イケハヤ氏はいいこと書きますね~。こんな記事をサクッと書けるように私もなりたい。
アイコンをフランス国旗にする理由は、人それぞれです。怒る話ではない。
ブロゴスに投稿された記事に対しての反論というか、イケダハヤト氏のコメントなのですが、正義感に震える人達にとっては強烈な一撃になるでしょう。この軽さでこの破壊力はすさまじいですね…。
以下、記事より抜粋。
(FBのアイコンをフランス国旗にして、追悼の意を表しているのに笑顔で投稿しているのはおかしい。他者への想像力が足りない。と怒る記事に対して)
この人は知らない人なんですが、多分、かなり生きにくいタイプと思います。当事者でもないのに、「当事者だったら」と想像して、勝手に怒っているわけですから。なんか毎日怒ってばっかりで疲れそう。
記事の最後に「他者への想像力」という言葉がありますが、そんなものは、追い求めるべきじゃないと思いますよ。どうやっても、ぼくらは自分でしかありえないわけです。「他者の気持ちを想像する」なんてことは、「死後の世界を想像する」くらい、真実には辿り得ない行為です。
フランス国旗にする理由も、しない理由も、人それぞれなのです。変更している人には、変更している人なりの理由があります。
それを周囲に説明する義務もありませんし、ぼくらがその理由を汲み取る必要もありません。しょせん、個人的な話ですから。「あぁ、なんかそういう個人的な思いがあるんだな」と、スルーすればいいんですよ。怒る話ではありません。
無関係であるにもかかわらず「当事者の気持ち」を想像したり、それを元に誰かに「怒り」を向けることこそが、もっとも恐ろしい暴力です。盲目になりがちですから。
テロを憎むのなら、まずは自分が怒りの感情を捨てることからでしょう。怒りの総和が少ない社会こそ、平和な社会なのです。
自分では気付かない
これと似たような例としておせっかいがあります。おせっかいも厄介ですよね。本人に悪気がない所が余計に。
FBのフランス国旗に怒っている方も同じタイプなのでしょう。
でも、これが難しいのは本人には気付きにくいってことなんですよね。
自分の倫理観に基づいて「正しいことはこうあるべきだ!」と発言や行動をしているだけなのに、それが相手や他人にとっては不快以外の何ものでもないという…。
正義感という名の暴力
同様に自らの「正義」という大義名分にもとづいて行動したことが、相手にとって脅威であることも多々あります。「イスラム国」もそうですよね。犯罪者集団と言われていますが、元々は彼らの「正義」が根底にあるでしょう。それがどれだけイカれたものだったとしても。
「助けなきゃ」「~してあげよう」「それは良くないよ」これらは全て自分の正義感にもとづいた考えなので「暴力」と同じです。
ではこの正義が暴力に変わる境目は何なのでしょうか?
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相手を変えようとすること
この正義と暴力の問題は「相手を変えようとすること」が境目になっています。
先ほど例に出した「助けなきゃ」で言うと…
目が見えない男性がいたとします。その人は歩道橋を登ろうとしているのですが、足を何度も段差につまづかせていて、明らかに困っている様子です。それを見かけたあなたが「これは手を引っ張ってあげなきゃ」と持ち前の正義感を発揮し、その人に声を掛けます。
「手をお貸しします」
すると
「結構です」
憮然と答えられてしまいます。
「なんだこいつ。人がせっかく手を貸してやろうと思ったのに…気分悪いな」
不機嫌になったあなたはその場を去りました。
先に歩道橋を渡りきったあなたの目に驚愕の光景が目に飛び込んできます。
なんと先ほどの盲目の男性が別の人に手を引かれ階段を登っているではありませんか。
「え、なにこれ?」あなたにはさっぱり意味が分かりません。
とまあ、こんな感じでしょうか。
いらん責任感
上にあげた例では決定的な問題があります。それが「いらん責任感」。
「私がやらなきゃ!」
「手伝ってあげなきゃ!」
「この人は弱者だ!私が力にならないと!」
こんな言葉が胸の内にあふれています。
相手のパッケージを勝手に決めつけて、勝手に干渉してくるような責任感はいらんのですよ。これは完全におせっかいです。
更に言うと、上の例え話では裏設定があって、実は盲目の男性には最近気になる女性がいて、それが最後に出てきた手を引いてくれた人なのでした。つまり、彼女の気を引くためにわざと歩道橋の段差で苦しんでいたと。
私の例え話に限らず、人の考えていることや目的なんてのは分からないものです。ヘタすりゃ自分のしたいことだって分からないぐらいですからねぇ。
思い込みに取り憑かれるな
結局の所、みんな自分の常識や思い込みという亡霊に取り憑かれてしまっているんです。これはちょっとやそっとじゃ除霊できませんよ。織田無道はお呼びじゃないです。
もう今の若い人は知りませんよね。はい、すいませんでした。
自分の常識や思い込みという亡霊を除霊するには、その凝り固まった価値観をぶっ壊すのが一番手っ取り早いです。イケダハヤト氏の「まだ東京で消耗してるの?」を見るのもいいですし、最近は坂爪圭吾氏も簡単に価値観をぶっ壊してきます。
固定観念にとらわれた人は総じてつまらないですから。
私も自分の常識を壊してくれる何かを探し続けますよ。