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下品な本音なら控えましょう。堀江貴文『本音で生きる』

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後悔するもしないも、その人の自由である。

後悔するような人生を送りたい人はそうすればいいし、後悔したくない人はそのように毎日にを生きているはずだ。

その人が生き方がどんなんに愚かに、そして苦しんでいるように見えたとしても、すべての人は自分が生きたいように生きている。みんな自分で選んだ道しか歩んでいない。

どんな生き方だったとしても、他人がとやかく言うことではないのだ。そこにはただの“その人の人生”があるだけである。

 

本音で生きるホリエモン

冒頭からいきなりオッサンのポエムを読ませてしまい申し訳ない。見苦しいにもほどがある。恥を知れ、私。

それもこれも、私に「本音で生きる」ことを強要してきたこちらの本が原因である。

 

 

 

プライドを捨てろ!

周りを気にして本音を言えずに生きている方、自分のやりたいことに踏み出せない方は、多いと思います。

この本の著者である堀江貴文氏(ホリエモン)は、徹底的に言うべきことを言い、
やるべきことをやるという生き方。それになぜか魅かれる方も多いのではないでしょうか。

本書では、生き急いでいるようにも見える堀江氏に、人生を後悔しない生き方のヒントをいただきました。

プライド、言い訳、バランス……。どんな方でも、自分を生きにくくしているものに、きっと気づくはずです。

 

どうやらめちゃくちゃ売れているそうだが、狙っている客層はこの本の2年前に発売された超ベストセラー『嫌われる勇気』と被っているように思う。

つまり「他人から開放されたい人々」である。

そういった意味ではホリエモンの存在は、非常にアイコンとして分かりやすい。

規格外の行動力に稼ぐ力。歯に衣着せぬ物言い。大量のフォロワー…。

彼の姿は「自由に」そして「本音で」生きているように、多くの人に見えているのだろう。

 

他人のしがらみから抜け出せない人々

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社会で生きていくためには、誰もがそれなりに「他人のために行動する」ことが必要になる。自分勝手が通用することもあるだろうが、社会はあくまでもみんなの場所である。だからこそ、それなりのバランス感を持って行動する必要がある。 

人によってはそれを窮屈に感じるだろうし、慣れっこになって「他人に気を使うのは当然だ」と思っているはずだ。

他人と生きることは多かれ少なかれストレスを生み出す。一人で仕事を進めた経験がある人ならば分かってもらえると思うが、他人から開放されることの快感は、なかなかのもんである。

なので多くの人が“他人のしがらみ”から逃れたいと願うのは至極真っ当なことだと思うし、より快適な人生を求めるのは健全である。こうして未来は少しずつ良くなっていくはずだ。 

でも他人のしがらみから抜け出すなんてのは、簡単なことではない。今、ちょっと考えてみたが一番お手軽なのは、今すぐビルから飛び降りることだろうか?「生きること=苦」だと釈迦は言ったそうだが、釈迦も他人のしがらみに苦しんでいたのだろうか。ぜひとも『嫌われる勇気』を読ませてあげたい。冗談である。怒らないように。

 

下品な本音

『本音で生きる』の最初の方に、「ホリエモンの本音」として以下のような文章が書かれていた。ちなみに完全なるうろ覚えである。

 

「本音を言えない」という人を見ると正直「きもっ」と思う。本音が言えないなんて意味が分からない。

 

別に私が「きもっ」と言われたわけではないのだが、けっこう不快な文章である。

勘違いしてほしくないのだが、私は基本的にホリエモンこと堀江貴文氏が好きである。彼の言うことはいつだって論理的だし、感情を排除しすぎるきらいはあるが、それでも納得する意見が多い。慧眼だと思う。

きっと彼のことだからいつも通り「出版社から依頼されたから」という理由でこのような文章を書いているのだと思われる。だがそれにしても、ちょっと下品すぎる

 

慎みましょう

「本音を言えない人を気持ち悪いと思った」。それがホリエモンの素直な本音であっても構わないし、誰がどんなことを感じるのも自由である。

しかしそれが他人の貶めたり、他人の価値を否定するような言葉である場合、それは慎むべきである。

なぜなら、不快に思うその気持ち自体はその人自身から生まれるものだからだ。

このブログでは何回も書いているとっても下品な表現に「感情とはウンコである」というものがある。感情というのは、出来事を食べて出てくる排泄物なのだ。

つまり、どんな不快な感情であろうとも、その感情を生み出したのはその人自身であり、他人には一切の責任がないのである。

例えば、他人から叩かれたとして、怒る人もいれば、怯える人もいるし、中には喜んでしまう人もいる。果たして例として正しいのか知らんが、まあそういうことだ。「変態こそ最強」という意味ではない。最強だとは思うが。

キツい表現をするならば、障害者の方を見て何も感じない人もいるし、「気持ち悪い」と思う人だっているのである。でも悪感情をわざわざ言う必要はないし、控えるべきだ。

悪態はその人の品性を貶める以外に、効果はない。

 

正しい本音の使い方

では正しい本音の使い方とは一体なんだろうか?

 

私自身、ありふれた小市民であり普通のサラリーマンなので、本音を控えた経験は多々ある。周りとの軋轢を恐れるからこそだ。

しかしそれでも言わなければならないときがある。

とても曖昧な言い方になってしまうが、それは「自分の許せないこと」である。

自らの価値観と照らし合わせ、「これだけは許容できない」ということに対しては、声を上げるべきである。

 

私の場合だと「他人の無駄な長話」である。他人を長話に付き合わせるのは、他人の人生の一部を奪う行為であり、これを私は「緩やかな殺人」と呼んでいる。殺人に巻き込まれるわけにはいかないのだ。

職場に異常に話の長い上司がいて、彼はいろんな人から嫌われている。

それでもみんな彼と衝突するのが面倒なのか、仕方なく彼の長話に付き合っていた。

でも私はそれを受け入れられなかったので、意を決して言わせてもらった。どストレートに「話が長すぎます」と伝えた。

上司の機嫌を損ねることや、会社での立場、なんなら評価ないし給料にまで影響が出るかもしれないが、それでも私の中での優先順位は「限られた人生の時間」だった。

 

その結果どうなったか。

確かに上司との関係は悪くなった。会話が著しく減った。断絶とまでは言わないが、離婚間近の熟年夫婦ぐらいには冷たい関係になった。

しかしそれだけである。仕事は変わらずに回っているし、上司の無駄話に付き合っていた時間分、早く家に帰れるようになった。その時間を使ってこうしてブログを書いている。ありがたい話だ。

 

これこそが正しい本音の使い方である(自画自賛)。

 

参考になったところを抜粋

ということで、『本音を生きる』のレビューはまったく書いていなかったので、ここで『本音で生きる』の中身から私が参考になった部分を抜粋しておく。味見してほしい。

 

 

馴れ合うために与えるのではなく、目的を持った同士が目的を達成するために与え合うのだ。

そう考えると、やっぱり会社は仲が良い方が与えあえる関係になって、より成果が出るのだろう。話が長いくらいでカリカリしてはいけない。

 

 

才能なんて、やってみないと、自分にあるかないかなんてわからないのではなないだろうか。

やってみないと才能の有無もそうだし、何を勉強するべきかも分からない。

 

 

プライドはなくなったほうが、みんなに愛される。

プライドが高いと周りも気を使うからね。

 

 

考えすぎてしまう人間は、いつもチャンスを逃す。

考えられない人間も同様だとは思うが…。

 

 

「自分がバカ」であることを知っている人は、強いのだ。

私の経験上だと、自分がバカだと分かっていない人間の方が無敵である。成功できるとは言っていない。

 

 

量が質を作るのであって、その逆はない。

これは至言。まずは時間を投資しなければ何も得られない。

 

こんなところだろうか。本自体が薄いのもあるし、内容自体も薄いので参考になる箇所も少ない印象。

きっとホリエモンの本は『ゼロ』の印象が強すぎるのだろう。あの濃さを体験してしまったら、『本音で生きる』の価値はほとんど感じられない。

という私の本音であった。

 

以上。

 

 

 

『ゼロ』はホリエモンが「100万部売る!」と意気込んで書いているので、熱量が半端じゃない。絶対に読むべき。