俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

物語のカタルシスを生み出すための簡単な方法

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物語の目的とは?

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

私は読書ブロガーという職業柄(職業なのかは知らないが)、物語の構造について考えることが多い。

 

アート作品の場合は違うと思うが、世にある物語の基本的な目的は“金儲け”である。身も蓋もない言い方だが、これはひとつの真実である。

では金儲けに繋がる物語とはどんなものか?というと、これは非常に簡単である。

それは、

「観客に快感を与える物語」

である。

作り手からすれば言うは易く行うは難し、というところだろうか。これがなかなか難しい。人が物語において快感を感じるポイントも千差万別だからだ。どんなことをすれば、観客に快感を与えられるかなんて、あまりにも範囲が広すぎて分からなくなってしまうだろう。XVIDEOであれだけのカテゴリーが溢れているのは、まあそういうことだ。色んな変態がいるのが我らの暮らす世界である。

 

観客に快感を与えるには 

そんな“物語”であるが、実は観客に快感をもたらす非常に有効な方法がある。

カタルシスだ。

 

普段なんとなく使う言葉だが、ちゃんとした意味を皆さんは分かっているだろうか。ちなみにこんな偉そうなフリをしている私は分かっていない。

 

デジタル大辞泉にはこのように記述されている。

 

カタルシス(〈ギリシャ〉katharsis)
《浄化・排泄の意》
1 文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。 

浄化は分かるとしても、排泄って。

「いやー、あの作品はカタルシスが凄いよね」とか言われている作品は、実はただのスカトロ作品の可能性も出てきたわけだ。みんな凄い変態じゃないですか。素敵。

 

まあそれは置いておくとして、なんかなんとなく「快感」と同義で使われているカタルシスだが、実は「浄化」という意味がある。

で、この浄化作用を生み出すことで、読者にも快感をもたらし、最終的には売れる物語になる、と。

 

 

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カタルシスってどうすりゃ生まれるのよ 

では今度はまた次の疑問が浮かぶ。

「じゃあカタルシスってどう生み出せばいいのよ?」

である。

きっとこの記事を読んでいるのなんて、ネットに依存して、YouTuberのクソ下らない動画を口を半開きにしながら観て、人生の貴重な時間を消耗していることにも気付けないような、自分で考える力を失っている人ばかりだろう。疑問が浮かんでも、自分だけではきっと解決できないはずだ。なにせ、この記事を書いている私がそうだからだ。フハハ。大丈夫だ、このまま行けば日本はきっと沈没する。

 

さっきから関係のない話にばかり話題が飛んでいるような気がするが、とにかくカタルシスである。そのカタルシスを生み出す方法を教えよう、というのがこの記事の趣旨である。前置きが長い。

 

答えはこの映画にあった

先日アマゾンプライムで1本の映画を観た。2本の映画を同時に観ることはできないので当たり前の話である。日本の映画を観るのは簡単だが。

そんな下らないことは置いておくとして、普段小説を読むので忙しい私なので、映画なんて相当久しぶりだった。で、これが超大当たり。そしてその映画が、最高にカタルシスを感じさせてくれる作品だったのだ。

きっと有名な作品だと思うがこちらである。

 

 

名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。
ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。
だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。
浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。
恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。 

 

こちらの『セッション』は最高のカタルシスを提供してくれるので、物語を作る人はぜひ参考にするべきだと思う。しかも、“簡単に”カタルシスを生み出せるからだ。

 

以下にその方法を詳しく書いていくのだが、映画の内容に触れる上、完璧なまでにネタバレである。

ネタバレを回避したい方は、そっと優しくブラウザバックしてもらいたい。 

 

ラストの衝撃がヤバい

 

~~ここからネタバレ~~

 

『セッション』の紹介でこんな一文を見かけた。

 

ラスト9分19秒の衝撃を見逃すな。

 

まるで私の大嫌いなどんでん返しをバラしちゃう系の文章かと思ったが、実は違った。この作品でどんでん返しみたいなのは、まったくない。強烈な物語が強烈に終わるだけである。

 

あらすじは上に書いた通りだが、この『セッション』という映画で一番強烈なのは、鬼教師であるフレッチャーだ。まさに狂気。イカれすぎて、人によっては「観れられない」ほどである。何か過去のトラウマに触れる部分があるのだろうか。ちなみに未来のトラウマは存在しない。

 

みんな興味ないだろうが、実は私は学生時代に全国大会レベルの強豪吹奏楽部に在籍していた。

フレッチャーまでとは行かないが、似たようなシゴキは経験したことがある。吹奏楽ってけっこう体育会系なのである。メトロノームを投げつけられたりとか。

 

で、このフレッチャーなのだが、学生に完璧さ、さらに上を求めるがあまりに、まともに演奏させることさえしないのだ。

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※悪魔にしか見えない。ちなみに鬼教師フレッチャーを演じたJ・K・シモンズはこの作品でアカデミー賞で助演男優賞を獲得している。

 

実はこれもけっこうリアルな話で、音楽の練習をするというというのは、楽曲の一部分を徹底的に繰り返したりのが当たり前で、楽曲を通しでやることなんて、ほとんどないのが実情なのだ。なので、練習は非常にストレスが溜まるし、その分、好きなだけ存分に演奏できる本番の開放感と言ったらない。

 

『セッション』では全編に渡ってフレッチャーによる、「演奏」→「中断」の繰り返しが行なわれる。フレッチャーがどれだけ音楽狂いであり、人格破綻者であるかをこれでもかと見せつけられる。

そんな感じで1時間30分経った頃に、やっと主人公の反撃が始まるのだ。

ボロクソに言われ、ときにはハメられたフレッチャーに対して、最高の演奏を見せつけるという反撃である。

しかも演奏が終わった瞬間にこの映画はバツンッと終わってしまう。観客が主人公の演奏をどう評価したのか分からないまま終わってしまうのだ。

これがいわゆる「ラスト9分19秒の衝撃」である。

 

カタルシスを生み出す方法 

ラストでとんでもないカタルシスを食らい、「やべえもん観たな」と私は呆然とすると共に、圧倒されすぎている自分に気付いて笑ってしまった。

 

で、落ち着いてから考えてみた。

なぜあんなにも強烈なカタルシスが生まれたのか、である。

そして気が付いた。

 

「そういえば、この映画。最後までまともに一回も演奏聴かせてねえじゃん

 

つまり、映画全編に渡って、演奏をちょっと聴かせては止め、聴かせては止めを繰り返して、まともに演奏しているシーンが皆無なのだ。音楽を扱った映画にも関わらずだ。

それはBGMでもそうで、全部を確認したわけではないのだが、この作品たぶんBGMも使っていないんじゃないだろうか。

それくらい作品から「音楽という快感」を取っ払い、寸止めを繰り返した末、最後にドカンとカマしてくる。そりゃカタルシスも得られますよ。 

 

ということで、物語のカタルシスを生むための簡単な方法というのは、こういうことである。

 

①観客が快感を得る要素であろうものを目の前で取り上げる(寸止め)

②それを繰り返す

③最後にその快感を与えてあげる

 

どうだろう、この構造は何かに似ていると思わないだろうか。

そうSMである。

いつだかダウンタウンの松ちゃんが「この世のものはすべてSとMで説明できる」みたいなことを言っていたが、こういうことなのかもしれない。

寸止めというお仕置きを何度も繰り返し、最後のご褒美をあげる。これによって、観客は最高のカタルシスを得られるのだ。もちろん排泄の方の意味ではない。

 

ちなみに、世の中で王道と呼ばれる物語の多くがこの手法を使っており(ドラゴンボール、ONE PIECE、キングダムなどなど…)、結局はみんなこの流れが好きで、人間はそういうふうにできているということなのかもしれない。

 

 

でも難しいのが、この手法ばかりが流行ってしまうと、次第に性癖が狂い出す人が出てきて、後味が悪いものが流行ったりする所である。現にそういう流れを汲む監督もいる。ミヒャエル・ハネケとか。

 

物語の創作とは、なかなか一筋縄では行かないみたいである。

 

以上。